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吉展ちゃん誘拐殺人事件を映画化した『一万三千人の容疑者』の付加価値

〈戦後最大の誘拐〉と呼ばれた吉展ちゃん誘拐殺人事件。
 1963年3月31日に発生したこの事件は、日本初の報道協定が結ばれ、テレビ、ラジオで犯人の声を流す公開捜査にくわえて、ザ・ピーナッツ、フランク永井らが誘拐犯に訴えかける歌『かしておくれ今すぐに』を競作するなど、メディアが駆使されたことで、同時代の人々に強い印象を残した。
 事件解決直後から、東映・松竹・日活が映画化に名乗りをあげたが、最悪の結末を迎えた後だけに被害者感情を慮る声もあり、東映がニュース映画を再編集した30分の『噫! 吉展ちゃん』が公開されるにとどまった。
 しかし、事件の専従捜査にあたっていた堀隆次部長刑事が事件後に定年退職し、『一万三千人の容疑者―吉展ちゃん事件・捜査の記録』(集英社)を発表したことから、各社が再び映画化に動き始めた。

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 この本の帯には芦田伸介が推薦文を寄せているが、これは当時、芦田がテレビドラマ『七人の刑事』で刑事役として通っていたからである。それもあって、どの映画会社で映画化するにしろ、原作者の推薦があり、かつ刑事役でおなじみの芦田が主人公を演じることは既定路線だったようだ。現在確認できるものでは、日活と東映の脚本が存在するが、芦田は完成度で東映を選んだという。また、ロケの迫真性が評判の『警視庁物語』シリーズの実績もあって、東映が映画化権を獲得したという見方もある。
 もっとも、「誘かい事件を営利会社が映画化する場合、協力できない」(『夕刊 読売新聞』66年7月18日)という警視庁側の見解が出たため、警察関連の場面はセットに持ち込まざるを得なかった。被害者一家も、当初は映画化に反対だったようだが、堀元刑事への信頼から最終的に納得したという。
 こうした経緯や誰もが知る事件の映画化ということもあり、本作は再現性が強く打ち出されている。被害者も吉展ちゃんに似た子どもを50人の中から選び、実際の誘拐現場にあたる入谷南公園での撮影時には、近所の見物人から、よく似ているという驚きの声があがったという。
 しかし、映画としては犯人の背景も描かれていないし、警察側の描写にしても、現金受け渡しの大失態も、さらりと見せる程度で、原作や警視庁との関係もあってか批判的な視点は抑えられている。後年、本田靖春が著した『誘拐』で記されていたような被害者宅で刑事たちが食事を要求したり、態度が悪かったことも、当然ながら触れられていない。見せ場となる取り調べで犯人との駆け引きも食い足りず、あっさり落ちてしまう。実録にこだわった枷が映画としての彩りを減退させたと言うべきか。
 そうした欠点を補って余りあるのが、誘拐現場の公園をはじめ、身代金が奪われた品川自動車の前などで行われた生々しい現地ロケである。
 後年もテレビで恩地日出夫監督による『戦後最大の誘拐 吉展ちゃん事件』(1979)が製作され、高い評価を得たが(犯人の情婦役の市原悦子と、刑事役の芦田が再び同じ役で登場している)、高度経済成長時代を挟んでいるだけに風景の変化は著しかった。
 その点で『一万三千人の容疑者』は事件発生から3年しか経っておらず、事件当時の風景が見られるだけに、今となってはロケーションに大きな付加価値が生まれている。新橋駅前の場外馬券場で行われる現金受け渡しの場面では、薄汚れた雑居ビルが無造作に建ち並ぶ風景と、新橋名画座の看板に若松孝二監督のピンク映画『血は太陽より赤い』(1966)のタイトルが見えたりするのが堪らない。


1966年/日本/東映東京/87分


監督/関川秀雄 脚本/長谷川公之 
出演/芦田伸介 小山明子 田畑孝 井川比佐志 市原悦子


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