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映画監督 伊丹十三・考

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映画監督伊丹十三とは何者だったのか? 伊丹十三と伊丹映画を、13本の記事と4本のコラムをもとに再発見する特集です。
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#種村季弘

伊丹十三がいちばん作りたかった映画

やりたいことだけを詰め込んだ映画  初監督作『お葬式』(84年)で、一躍映画監督として脚光を集めた伊丹十三。  それまで『北京の55日』(63年)などの海外の大作に出演する国際俳優・エッセイスト・テレビタレントとして知られてきたが、日本では80年代前半、『細雪』(83年)、『家族ゲーム』(83年)で助演男優賞を受賞するなど、俳優としての評価が高まり始めた矢先の映画監督への〈転職〉だった。  『お葬式』の大ヒットと、各映画賞の総ナメの記憶も新しい翌1985年、監督第2作『タ

幻の伊丹映画

 『お葬式』以前より監督作を模索していた伊丹が、具体的な構想を固めていた企画がある。それが、家出した若い娘たちが信仰集団の中で共同生活を送ることが社会問題化した「イエスの箱舟事件」の映画化。  この事件は結局、社会や家庭から居場所を奪われた者たちが寄り添って共同生活を行う場でしかなかったため、千石は不起訴となって過熱していたマスコミ報道も沈静化。再び彼らは共同生活へと帰っていった。  この騒動に伊丹は興味を持ち、自らの監督・主演で映画化を企画。脚本家・池端俊策に脚本執筆を依頼