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映画監督 伊丹十三・考

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映画監督伊丹十三とは何者だったのか? 伊丹十三と伊丹映画を、13本の記事と4本のコラムをもとに再発見する特集です。
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#和田誠

伊丹十三 幻の監督デビュー作『ゴムデッポウ』とチロル

「アマチュアの秀作」  最近、恩地日出夫監督と伊丹十三監督の対談記事を目にした。2人は、伊丹が監督になる前から、監督と俳優としてのみならず、公私ともに親しくつきあっていた仲である。  対談のなかで、「3本目(の監督作)でプロになった、と思った」と言う恩地に、伊丹はこう返している。 「正確には4本、27歳ぐらいのときに撮った16ミリの映画があっただろう。アマチュアの秀作『ゴムデッポウ』(笑)」  そう、『ゴムデッポウ』こそは、『お葬式』以前の、伊丹がまだ一三と名乗っていた

伊丹十三と特権的映画都市・東京

『ぴあ』は東京を映画都市に変えてしまった いささか惹句めいた言い回しに思えるが、『話の特集』(1983年7月号)で、映画評論家・蓮實重彦との対談に挑んだ伊丹十三は、「『ぴあ』は東京を映画都市に変えてしまった」と興奮気味に語っている。  つまり、雑誌『ぴあ』の出現で、思い立った瞬間に見知らぬ町の映画館で何時から何が上映されているかを把握できるようになった。そればかりか、名画座やオフシアターでの自主上映会も網羅されるようになり、それらの情報を蓄積すると、東京はパリにも劣らない〈映