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老いの美しさ/『水の駅』さいたまゴールド・シアター最終公演

公演ポスター


中本先生の記事をTwitterで拝見、急遽チケットを前日に取り、『水の駅』を観てきた。
(実際には予定調整で2日くらい迷ったし、それでもやっぱり行こうと最終的に決めたのは、興味以上に、普段の観劇事情からするとびっくりするくらい料金が安かったからである。遠いため高くつく交通費を加味しても総額5000円くらい、しかも簡易なパンフレットは入場時に全員に配布!神!商業団体が主催ではないと、というか一応素人劇団だとこんなにも演劇は身近なのか!)。 
大学のK先生の授業で散々彩の国シェイクスピアの映像を(断片的ではあるが)見ていたし、ゴールドシアターの話も聞いていたので、ずっと気になっていた劇場、劇団である。 
Twitterで客演の井上向日葵さんが、「生前の蜷川さんにも大田さんにも出会えなかったが、ゴールドシアターの最後に立ち会えて嬉しい」旨のツイートをされていたが、そっくりそのまま共感し、さいたまへ向かった。


蜷川幸雄が立ち上げた高齢者劇団ということと解散前最終公演であることが念頭にあったため、正直見せ物を見にきた、というスタンスは意識するかしないかにせよあったのだが、客席に入って純粋な演劇に他する期待が爆上がりした。

剥き出しの舞台(道具箱?がところどころ積んである)に把手の壊れた水道だけがあり、水が流れている。
大ホールとはいえ700人弱の密な空間なだけあって、とにかく雰囲気がすごい。
席も近く(最後尾でも十分な近さ。ギリギリの申し込みでJ列が取れたのは奇跡)、舞台と直に繋がっている感じがした。

開演のベルもなく、バスケットを持った少女(もちろん老女であるが)が走って登場し、芝居が始まる。

なんなんだろうこの芝居は。

私には、舞台上が産道のように思えた。

上手奥から登場人物がやってきて、水の駅で立ち止まり、下手から飛び出した花道(この出口のすぐそばの席だった)へ消えていく。
水の駅で、彼らは、赤ん坊のように我先に水を求めたり(最初の男a bの姿はまさに無邪気な赤ん坊であった)、おしゃれな衣装(日傘を持つ女は格別、乳母車を推す妻も素敵だった。アクセサリーもつけてるのが色っぽい)をものともせず水の中に入ったり、セックスのような動きをしたり(予想はしつつも実際に老年の男女・女女にそのような演技をされるとドギマギしてしまう)、自殺(と思われる。客演の井上さんの役。若い俳優は彼女だけ、リクルートスーツを彷彿とさせる衣装、というのが効いている)して次にやってきた集団に投棄されたり、とそれぞれの生の歴史、関係性が見えるような動きをする。
彼らの後には、水筒やらハンチング帽やらタイやら日傘から降り注いだたくさんのチラシ(新聞?)やらコートやら、生の跡が少しずつ残され水場に散らかり積もって……そして最後にはきれいに一人の男の手によって回収される。

その最後に登場した大きな荷物な男が、私には一番愛すべきキャラクターであった。
GOLDの舞台装置(劇序盤だが、この舞台装置の登場もかっこよかった、そしてさらに奥まで舞台の裏側が見えて奥行きがすごい)の奥から大きな荷物につけた風船?をふりふり登場し、瓦礫の山から汚れたスニーカー(見たことある、中学校の上履きだ!)を片方だけ取り出して履き、脱いだ片方の靴を瓦礫の山に投げる。
ラジオを取り出してボタンを押すが、鳴らない。
水の駅に落ちたものを拾って立ち去ろうとすると、不意にラジオはなって…(ここ順序が怪しいが)顔を洗った男は、再び登場した少女を見て去っていこうとする……。

やはり生と死の話なのだと思う。 

それが今回の役者たちに似合いすぎていて、普通なら青年の男女が中心となって演じるのだろうが、正直そんな舞台は想像できない。
役者が老いていることが前提として作られた配役だとしか思えなかった。

老人たちの顔と体は美しかった。

予想はしていたことだが、よくよく考えるとそれはとんでもなくすごいことである。
スカートから足を出して水に濡らしたりするシーンがあるが、どの俳優の足も年齢相応の皮膚感ながら張った筋肉をしている。
指定された時間を引き伸ばしたような緩慢な動きは老体には間違いなく苦しいことと思う(20代の私でもあのテンポで動き続けるのは筋肉痛になって死ぬ)。
どこかメルヘンチックだが日本的な衣装のよく似合って粋なこと。
これもどこかで見た感想の受け売りだが、「本当に俳優なのだ」と思わせる。
ただの高齢者ではない、演劇経験を積んだプロなのである。
隣の席の人が序盤から鼻を啜っていて、なかなかそんな気分にはならなかったが、それでもカーテンコールで年齢を次々と発表していくところ、支え合って何度も舞台へ歩いてくるところには込み上げてくるものを感じた。

もっと早く出会いたかった。
彼らのセリフを聞いてみたかった。
でも最後に美しい肢体の表現と出会えてよかった。

実感として、老いとは美しいものである。


戯曲を発見。当たり前かもしれないが、台詞がないのに台本はあるのだ。今回は演出、役ともに変更あり。


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