『論創ミステリ叢書5 松本泰探偵小説選Ⅱ』

 第1巻以上に気が抜けた……いやいや自然体という感が強くなった気がする松本泰の著作集第二弾。探偵小説の作者というものを、選りすぐりのパズルをいくつもいくつも製産するメーカーや、あの手この手を駆使したサプライズで読者を喜ばせてくれるエンターテイナーだと考えているような読者にとっては恐らく松本泰の作品群は「不良品」以外の何物でもないでしょうな。まあ作者自身のスタンスが下記のようなものですから仕方ないのです。見よ、この肩の力の抜けっぷり。

私の好尚からいえば、何々小説と銘をうつことや、何々主義というようなものを標榜せずに、ただ単なる物語として読者にまみえたいと思う。宗教や、恋愛を取材としたものが、宗教小説ないしは恋愛小説であるという論理が成立するならば、犯罪、もしくは秘密を取り扱ったものは探偵小説あるいは秘密小説という範疇(カテゴリー)に当てはめられるかもしれない。私の書こうとするのはこの種の物語である。 (「『三つの指紋』はしがき」)

 ミステリというジャンルの変容があまりにもせわしない昨今の風潮についていけなくなった方、ジャンルの規定なんか「めんどくせ」という方には心強い一言です。まあ、この思想に共鳴したところで面白くなかった松本泰の小説が面白くなるわけではないのですが(笑)。

 本集の中で私的に最高傑作だな、と思ったのは「嗣子」。結末がおめでた過ぎます。他には「清風荘事件」「毒杯を繞る人々」なんかも普通に面白いです。あと、エッセイ集には非常に興味深いものがいくつも収録されていますので、読まないで飛ばしちゃうと勿体ないですよ。

小説なんていうものは、どこの頁を開けて読んでも興味のあるものだ――というようなことを、ずっと昔、鈴木三重吉氏が何かの雑誌でいっていた。 初夏の日永の退屈に、書棚の前へいって、読み古した蔵書の中から、手当たり次第に一冊を抜き取り、頁をばらばらはぐって、取っつきいい新しい行に目を注ぐと、殺人事件のあった某家の現場で、探偵が女中と話をしている場面があったり、霧の深い晩に、相愛の若い二人が、十分後に来る突然の死を知らないで、長い橋を渡りながら、限りない愛を語り合っているような場面にぶつかったりする。 小説の筋はどうあってもいい、さうした一情景から、前と後に引き伸ばされる想像が私を喜ばせる。大きな凭れ椅子に埋まって、重い書物を支へている私は、ばたりとそれを床に落としたまま、眠ってしまうことがある。時には小説の筋がそのまま夢に入ってくる。 (「初夏の一頁」)

 エッセイの中では、この一節が結構気に入りました。松本泰の小説を楽しむ最良の方法はきっとこれだ。が、よく考えればこれは一種の“読者への挑戦”なのかもしれません。面白くない? それはオマエが想像力でちゃんと補ってないからだろフフン、もっと頑張れよ、みたいな。
(記 2004/6/18)

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