座談会「憶い出の不如丘と不木」



『医家芸術』昭和48年2月号の話題です。

座談会「憶い出の不如丘と不木」
(出席者)
正木良一(正木不如丘氏実兄)
小酒井望(小酒井不木氏長男・順天堂医院長)
前田友助(前田外科病院長)
中島河太郎(日本推理作家協会常任理事)
(司会)
原三郎(日本医科芸術クラブ副委員長)
椿八郎(日本医科芸術クラブ編集委員)

昭和47年12月18日 於原宿南国酒家

 正木不如丘と小酒井不木、それぞれの遺族代表1人ずつに、共通の友人代表として前田友助、という図式なのでしょうか。中島河太郎は推理作家協会代表というより、レファレンスとして呼ばれたと見ました(笑)。
 和気藹々といった雰囲気で思い出話などを語っているのですが、椿八郎がやたら口を差し挟もうとするのが面白いです。芸風なのだと思いますが、途中から司会ではなく語る側に廻っております。

 で、ここで「不木のペンネームは木石にあらずである」という中島説が披露されています。

椿 ところが不木って名前ですが、それは家の人も知らない、望先生も知らない。なぜ不木か。
中島 “木石にあらず”だろう。
椿 そうじゃない、ぜんぜん違う。
中島 椿先生、新説を出すからねえ。(笑)
椿 これは古畑種基先生だけが知っていた。桑原虎太郎さんという、古畑先生のおじさんが不木先生とは非常に仲がよかったらしい、先輩らしいですけどね。
(中略)
椿 不木っていうのは、どうもわけがわからないが、どういうわけかと手紙を出したんですね。その返事がきている。その返事をそのまま雑誌に載せてるんです。それを見るとね、不木っていうのは、不というのは木が上に出ていない、木という字の頭が抜けてないんですよ。
中島 (感心したように)ハ、ハ、ハ、ハ。
椿 自分はいま勉強中だ、まだ木にならないんだ、木の下にいるんだけれども、勉強して、これから木になろうと思うという、非常に謙遜した名前なんです。

 中島説、一蹴されておりました。
 なお件の桑原虎太郎が引用した小酒井不木の文章は「小酒井不木筆名考」に引用してありますのでそちらをご覧頂ければ幸いです。別に「木になる」とか「木の下にいる」というような「木」にこだわったニュアンスはなく、最初隠れていて後に顕れる、というところが主眼なのですが、まあ細かいところはいいでしょう。
(記 2003/4/15)

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