あるブックメーカーの憂鬱
開演前の舞台は、静寂に包まれている。
その静寂は、観客の期待の現れだと──美孔麗王国の脚本家である「劇の根源マクガフィン」は思っている。この期待に自分が出来る事で最大限応えようと、マクガフィンはこれまで何千何万と舞台の脚本を書いてきた。
「……今日ご来場頂いているお客様方には、申し訳無いな」
と、舞台が一望できる部屋から苦々しく呟くマクガフィン。独り言が多くなる時は機嫌が悪い時だ、と美孔麗王国の仲間から言われた事を思い出していた。
やれやれ、と言いながらマクガフィンは舞台が見える位置から離れ、部屋の中央にある椅子に座る。眼前のボタンを押すと、見るからにハイテクノロジーな電子機器と、映写機のようなものから小型のスクリーンが展開された。
程無く開演のブザーが鳴った。観客席からは拍手が聞こえたと同時に、電子機器に触れたマクガフィンは、チームウェイブのスーパーコンピューターへのハッキングを開始する。
「今回の公演は、主演のドラゴンがハッカー役を演じる。敵対組織の3つのスーパーコンピューターをハッキングし、データベースを壊滅させるサイバークライムサスペンス……」
マクガフィンは、両指を動かしながら、ため息をついた。頬杖をつきたいくらいの気分だが、電子機器のキーボードを叩く指は決して止めず、目の前のスクリーンに映し出されている文字列から目を離す事も無い。
「つまらない。絵面が地味。舞台映えしない。私なら絶対にそんな脚本は書かない。スポンサー殿の思惑があるのだろうが、こんな内容をご所望とはやはり歌劇というものにご理解が無いようだ」
そうはっきり言うと、マクガフィンは口を閉じハッキングを続ける。そんな中でも舞台では演劇が続けられていた。
舞台には、数百人が入れる観客席がありそこが全て満席。そして舞台上では、全身が結晶で出来た光輝くドラゴンが、スポットライトを浴び、一人で語り一人で演じていた。
「ご要望に沿って私が書いた脚本は一人芝居。時間もさしてかからないだろうハッキングという題材だ、複数演者がいても冗長になる……まぁ、たとえ短時間公演でも一人で演じきれる技術は、評価点と言えるが」
たまらず独り言を呟くマクガフィン。眉間には皺が寄っている。
「そもそもスポンサー殿は、あの主役が出ていれば何でもいいのだろうな……厄介な方々がついてしまったものだ。このハッキング自体も、本来私の役目では無いぞ」
その瞬間、舞台からはおおっ、という声が上がっていた。
舞台上のドラゴンが、何か際立った演技をしたらしい。だが何をしたかまでは、マクガフィンもわからなかった。
マクガフィンは、話の脚本と役者の設定を決めるのだが演技指導や演出は行わない。そもそも美孔麗王国という劇団には「演出家」は存在していない。
美孔麗王国では、演出とは舞台上の役者がその場で決めるものとされている。役者自身が、己の技術を極め一瞬一瞬を舞台上で表現し「ビビッド」に演出する──その演技で観客を沸かせる事が、美孔麗王国の流儀であった。
「もっとも、コンピューターの知識がある者など美孔麗王国にはいないし、いたとしても彼らがハッキングなんて行為をするわけがない。我らが王など今の私を見たら業火の如くお怒りになるだろう……裏方であり、私にしか出来ない事、か」
そう言うと、スクリーンには『CLEAR』の文字が浮かんだ。
「ふむ、歓楽のタギャースツはこれで掌握した」
間髪入れず、次の行動に出る。
「電脳のデガーノルの方が速くアクセス出来るか、ここから攻めよう。舞台は中盤、こちらは佳境だ……ついでにアカウントのひとつでも頂いておくか。何かの役に立つかもしれない」
それ以降、マクガフィンは再び口を閉じ別のコンピューターにハッキングをかける。舞台上のドラゴンも、少し違った演技を始めたようだった。
この舞台を見ている観客達は、実際に誰かがハッキングを行っていると思ってはいないようで、特に事実を気にしていない観客もいる。目の前の演劇を楽しむ事が、全てだった。
それはマクガフィンも、この劇団に関わる全ての者も同じだった。現実の全てがショーであり刹那の煌めきであり、最終的な到達点は観客に楽しんでもらう事──それが彼らの全てだった。
ただ、舞台上のドラゴンとスポンサーはそうではないのだな、とマクガフィンは感じていた。
「さて、電脳のデガーノルも掌握した。これによりプログラムは私の思うがままになるが……ふむ、Instant waveを自爆させる事にしよう。タギャースツとデガーノルによる、合議としてだ」
そう言ってしばらく電子機器を操作していると、スクリーンに映し出された『CLEAR』という文字が『DENGER』という文字に変わった。
「ふっ、知識のノギューソの意など知った事か」
と、構わずハッキングを続けるマクガフィン。すると、警告音と共にスクリーンには数字のカウントダウンが始まった。
「これでこのコンピューターの自爆は決定した。自爆まであと60秒か。さて、どうする?チームウェイブの諸君」
マクガフィンは電子機器から指を離すと、スクリーンを一瞥し立ち上がった。そして舞台が見える小窓の方へと向かい、舞台上のドラゴンのクライマックスの演技を眺める。
「初の一人芝居としては悪くない、及第点……などと言うとまた癇癪を起こすか?ふふっ、気位の高い我らが王でもそのような事はしなかったが。あぁ、そろそろ降臨されるかもしれないな」
と、肩を回しながら舞台を見ていると、スクリーンから警告音が鳴った。見に行くと、映し出されているコンピューターにある書き込みがされていた。
「ほう、チームウェイブのキングマスターのお出ましか。あと10秒足らずで自爆だが、どのようにして……ん?」
と言った瞬間「我がジャストアイデアをステートメントする!」という書き込みがされ、そこに多くの反応があった。その反応の数は、瞬く間に億を越えていった。
「まさか、キングの一言で起きたバズによるサーバーダウンが狙い、か?」
電脳の集団である相手が、コンピューターの決定を覆す為に「多数の同時アクセスで処理容量を超えさせコンピューターの電源を落とす」という、強引な方法で解決しようとしてくる事は、マクガフィンには想定外だった。ただ、まったく焦る様子はない。
むしろ、笑っていた──終始無表情か険しい顔をしていたが、今は子供のように笑っている。まるで、自分が予期していない事態が起こる事が、楽しくて仕方がないと言わんばかりに。
「ふはっ、ふははは!面白い、これが噂に聞く1兆フォロワーの力か!こんなパワープレイで使うとはな!さぁ、自爆まであと3秒だぞ?バズの力とやらで防げるか!?」
と、マクガフィンは興奮気味にスクリーンを見つめた。自爆まであと2秒、1秒──を切った時、スクリーンがブラックアウトした。これはコンピューターがダウンし、爆発を止められた事を意味している。
部屋は静寂に包まれたが、舞台からは歓声が上がっていた。
「ハッキングは失敗。今回はチームウェイブの勝ちというわけだな。もっとも、こんな地味な舞台で終わられても興醒めではあったが」
マクガフィンは落胆する素振りも無く、再び椅子に座り電子機器を動かす。スクリーンは既に文字列が表示されていて、自らの痕跡をハッキング先に残さない為にデータを削除していく。
「やはり逆探知しているな。おぉ、速い速い……が、なんとか巻いたようだ。多少は痕跡が残ったかもしれないが、その方が次の公演の振りにはなるだろう」
と、マクガフィンが再び椅子から立ち上がった瞬間に、舞台から大きな声が聞こえてきた。
『祝え!この物語の終幕を!』
すると、舞台が爆発した。そうして「舞台上のみ」が炎と硝煙に包まれると、舞台に小さなオーロラが生み出され、同時に歓声も生まれた。
「ふっ、まぁこんなものだろうな」
そう言うと、マクガフィンは舞台に背を向け歩きながらこう呟いた。それは独り言ではあったが、歌うように軽やかだった。
「今回の公演、私は少々楽しめたがそれは何の意味もない。地味な内容で退屈な方もいた事でしょう。ですがお客様方、どうか次回の公演にもご来場下さい。きっと私達の「過激な歌劇」を存分にご堪能出来る筈ですから……!」
マクガフィンは部屋にある無線のようなものを手に取り、こう話した。
「美孔麗王国の全スタッフに次ぐ、ハッキングは失敗に終わった。だが次の公演のプロットも完成した。撤収作業の後、話をしよう。今日もご苦労だったね」
そう言ったマクガフィンは笑った。先程の子供のような破顔とは違う爽やかなその笑顔は──裏方にしておくには勿体無いと、美孔麗王国の誰もが思っている。
続く
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