見捨てるなら拾うな
そう思っていた。
近寄ってくる人を振り払いたかった高校時代。
見捨てるんなら拾わないでほしかった。
元をたどれば、中学時代。
どうか私を、何でもいいから拾ってください。
と思って、すり減っていった。
誰からも嫌われたくなくて、“いい子”でいることに全力だった。
ダメなやつだ、必要ないと思われないように、頑張って頑張って、笑って笑って、表面を明るく繕っていた。
そんな自分に疲れ切って諦め始めた高校時代。
どうせ自分に寄ってきたって、途中で嫌になるんだろう。
結局は誰も味方では、いてくれない。
だったら、なるべく人とは関わりたくない。
高校生の頃には、中学生で人に期待していたことを諦めて、人や自分に期待すること、されることを極端に嫌った。
自暴自棄という言葉がぴったりな高校生の出来上がり。
見捨てるなら拾うな。
そんなふうに思うようになってからも、拾ってくれる人が幾人か現れた。
でも、見捨てられる前に、どうせ私を見捨てるんだろうと、突き放してしまっていた。
それでも、そばにいてくれる人がいた。
その人のおかげで、徐々に自分の間違いに気づけたんだと思う。
拾ってくれと、せがんで疲れて、
もう拾わないでくれと、振り払う。
中学生の時の自分が求めたことを、高校生になった自分が踏みにじった。
失ってばかりだ。
そんな私に対して、あの人はどうだろう。
私がどうしようと、突き放そうと、見捨てなかった。
間違えている私にも、それ以上を求めず、むしろ私に楽しさや喜び、愛を与えてくれる。
何か失うどころか、自分の中から何も手放すことなく、更に何かを人に与えることができている。
私だって何も失わずにいられるんじゃないか。
私にたくさんの大事なものを与えてくれた、あの人とは、高校を卒業し、それぞれ違う道を進んで、離れた場所で過ごした。
先日、あの人から結婚が決まったことを聞かされた。
友人代表スピーチを頼まれた。
あの人は本当に私を見捨てないやつだ。
彼女のおかげで、もう私は思わないだろう。
「見捨てるなら拾うな」
なんてね。