キラキラのふりかけ
GWってこんなに寒かったっけ?
ごきげんよう、もくれんです。
高校の部活の友人が吹奏楽のコンサートにでるというので見てきた。友人は吹奏楽部で部長をしていて、高校を卒業してからも吹奏楽を続けているそうだ。それに比べて私は、当時もポンコツヘッポコ部員だったし今や全く楽器に触れない生活をしている。音感もリズム感もセンスもないのに吹奏楽部に入ったこと自体、ナンセンス。今考えても「なんで後先考えないのかな」と思う。吹奏楽部に入ったならせめて努力すればいいのに大して努力もしなかったから、あの頃の私を恥じている。というか、周りの部員に申し訳なかったと目を伏せたくなる。謝るならやれという話なので謝ったところで今更なんににもならないけれど。思い返すだに、私をいじめもせず受け入れてくれた部員のみんなは猛烈に優しい。ちなみにこんなだめ部員なのに花形のトランペットをやっていた。厚顔無恥甚だしい。今だってあの時と対して変わってない。毎日自分の限界を自分で決めて「疲れた」と言い訳して大した努力もせずにのうのうと生きている。私はなんとなく日々私自身が恥ずかしいし認められない。かと言って努力しないあたり、高校生の時から何も変わっていない。
高校を卒業してから、吹奏楽を聞く機会は中々ないもので、本当に久しぶりの演奏会だった。オーケストラやバレエ、ミュージカルにオペラ、いろいろなエンターテイメントがあるけれど吹奏楽って探さないと聞きに行けない気がする。今回、友人がコンサートのご案内をしてくれなかったら、むこう10年くらいまた聞くことはなかったのではなかろうか。なんせ前に吹奏楽を聞いたのは大学生か新卒2,3年目の時だ。
例によって、全く音感もリズム感もないもんで何が素晴らしいとかちゃんとした感想はちっとも言えないのだが、久しぶりに聞いた吹奏楽は本当に良かった。ジャズともオケともぜんぜん違う吹奏楽の良さがある。明るくてキビキビしていてキラキラしている。音が大きな波になって私を包む。見えない音のうねりを感じる。何に感動するじゃないのに涙がでる。空気が震えて私の鼓膜に届く、身体中を音が包む。何が美しくて、何が素晴らしいのかうまく説明できないのだけど「吹奏楽ってそうだった、こういうものだった。」と思った。
昔、吹奏楽部のコーチが「ラッパ!おまえらはね!ふりかけ!!ふりかけなの!!キラキラのふりかけをかけるの!!!なのに今のお前らはぐちゃぐちゃなの!はい、キラキラ!!もう一回!!」と言ったことがあった。他にもっと大切なことをたくさん教えてもらったはずなのに、心に残っているフレーズは「キラキラのふりかけ」だけである。
高校を卒業して、何年かたって当時のコーチとお酒を飲みに行ったことがあった。二次会のカラオケで酔っ払ったコーチに「もくれんのことは悩みのタネだった。(全然努力しなくて)どうしたらいいかわからなかった。でももういいと思った。こうやって一緒にお酒を飲めてよかった。」と言われた。困らせている自覚はあったけど、こうやって面と向かって言われるのは思いがけないことだったし「こんな恩赦ある!?」と思ってしとどに泣いたような気がする。あのときやっと申し訳ないと心から思ったのではないだろうか、私という愚かな人間は。ジャン・バルジャンもびっくり。
久しぶりの演奏会は、苦かったり苦しかったりShame own meなことを色々思い出した。パーカッションを担当している友人はトライアングルやタンバリンでキラキラのふりかけを会場に、音楽にいっぱいいっぱいかけていた。吹奏楽をやってなかったらトライアングルやタンバリンの凄さを知らない人生だったな。生活感あふれる毎日に今日のコンサートはキラキラのふりかけだった。
私も、キラキラのふりかけをかけたい。