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「マティス 自由なフォルム」それは不自由から生まれる。

自由はどこから生まれるのかな。

ごきげんよう、もくれんです。

ちょうどよく時間が空いたので国立新美術館の「マティス 自由なフォルム」を見てきた。(友人と見る約束をしているので、もう一度行く予定)

まだ始まって間もないが、既に評判がよく気になっていた展示だ。去年、東京都美術館でマティス展をやっていて、それもとても良かったのだけど今回は油絵というよりもマティスが描いた壁画や舞台芸術が来ていた。

マティスの図面を陶板におこしたもの

マティスが切り紙を使い出したのは大病を患ってからだそうで、今回のタイトルが「自由なフォルム」とついているのに、不自由な身体から生み出されているのは些か頓知が効いている。

実際にどれくらい自由か見て感じていただけたらと思うのだが、見ようによってはイビツな切り紙たちは美しいというより作為と不作為の交差点に佇んでいるようだ。こう言っちゃっちゃぁなんだが、マティスが名声を得た後じゃなかったからブラボーと言われていたかは怪しい。ちなみにマティスはモローに最初師事していたそうで「モロー!?」とかなり驚いた。

モロー「出現」

モローから教わったすべては守破離したんだろうか。全然作風違うやん。師事ではないにしろ、敬愛関係にあったエゴン・シーレを見るとクリムトと似た香りがするのに。マティスにモローの香りは全然しない。

この前マリー・ローランサンがキュピズムの影響受けてると聞いて驚いたけど、マティスもモローに習ってたのか。そしてフォービズムの流れを汲む画家と聞き、それも知らなかった。マティスは原色の赤を使うおじさんくらいにしか思ってなかったからなー。去年のマティス展で何を学んだのか、私は。何も覚えちゃいないな。

自由なフォルムの切り紙絵を使った壁画やステンドグラスは独特だが優しくて遊び心があり楽しかった。戦争中のビュフェが暗い絵を描いてしまっていたのを見て、人間環境に左右されるよなと思っていたが、マティスは車椅子生活になっても原色を明るく使いこなしていて強いジジイだったんだろうな。長い棒に筆をくっつけて描いた壁画は、システィーナ礼拝堂の天井画や壁画を描いたミケランジェロと比べたらとんでもなく稚拙に思える、一筆書きのような聖母子や天使だった。


けれども、私は知っている。こういうのを描くのたぶんすごく難しい。簡単そうに見えるものほど難しい。仙厓のまるさんかくしかく◯△◻︎も多分描くの難しい。

仙厓「◯△◻︎」

話題になっている「ヴァンス礼拝堂」のレプリカ空間はとても良かった。本物は比べ物にならないくらい綺麗なんだと思うが、素晴らしい擬似体験をすることができた。ちゃんと日の光が動く様を再現していたし、朝の光の中では小鳥のさえずりが響いていた。

この空間の有無で、この展覧会の評価だいぶ変わったと思う。

マティスって窓と光の人なんだなーと思った。去年のマティス展で、窓際を描いた絵をたくさん見た。今回はステンドグラスだったけど、この人、窓が好きなんじゃないかなと思った。光がさす場所に吸い寄せられるタチというか。デイビッド・ホックニーもiPadで窓際の風景もとい情景をたくさん描いていたけど、窓際にはナニカがあるんだと思う。自然と私を繋ぐ境界線だからだろうか。こちらから開けなくてもさしこんでくる自然に人は惹きつけられるのかもしれない。

雨でも曇りでも、落ち込んだら窓を見てみようと思った。そこにはマティスが見た美しさがあるかもしれないから。


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