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24/2/1(木) 世の中を変えたければ・・・

亡くなった桐島容疑者の心を想像してみる。
1960年代、70年代の左翼活動家たちの
引き起こした数々の事件について、
NHKの番組や、若松孝二監督の映画を見たり
山本直樹先生の「レッド」や関連の書籍などを
読んで調べてみたことが何度かある。
その辺の感想はまた気が向いたとき
まとめてみたいと思う。
(最近、後日まとめるって言ってばっかで
 やっぱ、時間作ってじっくり書いてみたほうが良い気もしている)

今日はそういった研究や知識の話を抜きにして、
一人の人間として考えたとき、
なぜ、あのような過激な行動を起こすに至ったのか、
自分なりに書いてみたいと思う。

僕らもそうなっていたのかもしれない

10代後半から20代前半にかけての多感な時期、
僕は鬱屈としてた。
頭も良くない、見た目も良くない、
金もない、モテない。
こんな世界隕石でも落ちて
終わってしまえと思っていた。
救いといえば映画と本と音楽だった。
岩井俊二、石井克人、石井輝男、塚本晋也、
太宰治、坂口安吾、町田康、花村萬月、
リリー・フランキー ナンシー関 
みうらじゅん 山本直樹 新井英樹
NUMBER GIRL ゆらゆら帝国
ハマっていた方々としてはこんな感じだ。
そして自分はこの人たちと同じように、
何者かになれるはずであると、
信じて疑ってなかった。
この息苦しい社会に、
僕と同じように生きづらさを
感じている人たちに、
何か刺激を与えられるような、
救いになるような、
新しい価値観を生み出せるような、
そんな仕事をしたいと思っていた。

東京の映画を学ぶ専門学校に入った。
そこで出会ったのは、
僕と同じような感覚と思いを持った、
若者たちだった。
人生に初めて光明が差した。
こんなにも仲間がいたのかと、
本当に嬉しかった。
未来は明るいものになると信じていた。

しかし世の中はそんなに甘くなかった。
日本の映画業界は僕には耐えられるものでなかった。
厳しい上下関係、暴力、セクハラ、貧乏。
監督ですら汚いボロボロの服を着回し、
助監督たちは安い居酒屋で安酒を飲んでいる。
ヒットする作品は漫画原作の実写化
お涙頂戴のラブストーリー、
記号だけが羅列された中身のないストーリー。
主演を張るのはジャニーズを始めとする
演技力のないアイドルたち。
当時の僕は控えめに言って「クソ」だと思った。
日本の映画業界は終わっていると思った。

僕自身も根性がなかったのもあって、
すぐに映画監督を目指すことは諦め
逃げ出した。
そして当時の僕は、大衆にも怒りを向けていた。
バカがバカな映画しか見ないから、
業界もバカな映画しか作れないのだ。
そう思っていた。
今思えば恥ずかしいばかりだ。
自分の努力不足や才能の無さを棚に上げ、
原因は外部にあるものであると変換していた。

話を桐島容疑者たちに戻していくと、
あくまでも根拠のない僕の想像だが、
当時の左翼活動家たちも、
ベクトルが違うだけで、
同じようなルサンチマンを抱えていたのではないか
と考えている。
なぜ日本国民はこんなにバカなのか、
なぜ両手離しで現体制を受け入れているのか、
一般国民より頭がよくこの不条理に気づいている自分たちが、
国民を目覚めさせなければならない。
当時そんな風に思っていたのではないかと思う。

日本←政府←議会←政治家←国民
であるとすれば、日本の腐敗はそのまま国民の姿だ。
そして1億人以上の老若男女の意識を
一瞬で変えることなど不可能に近い。
ましてや暴力でそれを行おうとしても、
誰もついていきたいとは思わない。
女性が参政権を得るまでに、
どれだけの人たちが長い間戦い続けてきたのか。
LGBTQのみなさんがどれだけ世界中で訴えかけてきたか。
そんな簡単なことも彼らには
分からなかったのだろうと思う。

若いときの僕も全く同じだ。
日本の映画業界が
漫画原作のアイドル映画を量産するのは、
国民がそれを望んで、
そして多額の興行収入が生まれるからだ。
「クソ」だと攻撃性を持って批判するのではなく、
僕自身が何かを変えたいと思ったら、
抗い続け、仲間を集め、作品を作り続け、
地道にみんなの意識を変えていく運動を
していくしかなかったんだろうと思う。
しかし僕は根性もなく才能もなく、
若松孝二監督が連合赤軍を
映画の最後に評した言葉を借りれば
ただの弱虫に過ぎなかった。

あくまでも僕の想像でしかない。
本人たちはもっと高尚で高潔な
理念があったと言うかもしれない。
でも、これは僕だけじゃなく、
左翼活動家だけじゃなく、
すべての人が当事者になりうる
問題なのではないかと思う。
眠いから今日はここまで!

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