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note帰還報告と東京備忘録

お久しぶりです。キキです。

note書く書く詐欺をして、はや一ヶ月。
気づけば、今年最後の月です。

どうやら私は世間のスピード感に置いてけぼりにされているようで(家にテレビも無いので、時間の流れを感じるのは毎週配信されるラジオを聞く時とカレンダーをめくる時くらい)、12月になったと知って軽くめまいがしました。世間、早すぎます。

ここ最近書けていなかったのは、書いたものの、「こんなものを人様にお見せするわけにはいかない…」と、江戸時代の武士ばりに頑固な完璧主義が邪魔をして、なかなか出せずにいたからです。

ですがよくよく考えてみれば、これを見ている人はごく少数の、自分のことを知っている大分変わった人たちなわけですし(皆さん素敵な方ばかりです。いつもありがとうございます)、そんなに完璧な物など求めていないんじゃないかと。

ならば、ただ自分の思ったことを綴って、自分の変なところを知ってもらおう!そしてちゃんと引いてもらおう!と思ったわけです(?)

皆さんには「世の中にはこういう人間もいるんだな~変なの~」と思いながら読んでもらって、私が皆さんの頭の中の「人間」の幅を広げるきっかけになれたらいいなと思います。

あ、なので、このnoteを読んでも生産性が上がるとか、将来のキャリア形成に役立つとか、そういったメリットは一切ございません。今から謝っておきます。すみません。

そういった方は、noteには参考になる方がたくさんいらっしゃるので、いろいろ検索して、読んでみて、自分のメンターを見つけてみてください。

私の記事を読んでいる時は、せかせかとした世間から一旦抜け出して、ほっと一息ついてほしい。「世の中には変な人もいるなあ」と思ってニヤついてほしい。そう願って書いています。

さてさて、たくさん予防線を張ったので、大分書きやすくなってきました。ここから先も読んでくださる方がもしいらっしゃるなら、私は全力であなたの幸せを願っています。今日、笑顔になれることが一つでも増えますように。



というわけで、本題。東京備忘録。

先日、友達に会いに、東京に行ってきました。
生まれも育ちも、大学に通う現在も、都会とは離れた地方でぬくぬくと暮らしている私。
そんな田舎者の私は、東京(いわば都会の最上級です。the most 都会)に行って気づいたことがたくさんありました。

私はHSP気質が強いということもあり、人が気にしないところまでつい気にしてしまう性格。

なので今回は、HSPを代表して「HSPが東京に行ってみたの巻」をお送りしたいと思います。

※もうお気づきかと思いますが、くだらない内容なのでこたつでも入って暖かいココアでも飲みながら、ゆるゆると見てくださいね。

そしてもしあなたが共感してくれたなら、もう仲間です。同盟を組みませんか。

前置きはこのくらいで。

東京には余白がない

まず感じたのは、視界が情報で埋まることです。

溢れかえるたくさんの人、隙間のないビル群、柱や壁には広告、広告、広告…
視界に入る物全てが自分に訴えてくる。

だめだ、意志が強い…このままじゃ負ける…

一体何と闘っていてどうすれば勝ちなのかは全くもって謎ですが、その時は都会の同調圧力に屈しそうになって、必死に抗っていました。

自分が崩れると一瞬で流されてしまいそうな恐怖感がある。なのにすれ違う人々は平気そうな顔で自らの目的地に向かって歩いている。しかも全くぶつからずに。

なぜだ…なぜそんなに平気な顔をしているんだ…しかもこんなに人が多いのになんでぶつからないんだ…マーチングバンドなのかな…(?)

私は動揺しました。道行く人全員が、鉄やら鋼やらなにやら当たったら痛そうな鎧を身につけているように見えたくらい。(見えただけです実際は着ていません)

私は村人の装備でラスボス戦の会場に間違えて入ってしまった残念な兵士。もはや勝ち目はありません。

という妄想を繰り広げ、友達に助けを求めようと隣を見ると、ケロっとした顔。

え、全然ダメージ受けてないじゃん…いつの間にそんな強くなったの…

私は仕方なく行く当てのない妄想をスマホのメモ帳に書き綴り、一旦落ち着きを取り戻しました。

敵か?味方か?


渦というピースの又吉さんがやっているYouTubeチャンネルの動画で、こんなことをお話しされていました。

合わないなと感じた人がいたら、その人の靴を見る。
靴を買う時には店員さんに頼んでサイズ変更してもらったり、試し履きしたりする必要があるから、靴を買うところを想像すれば、その人の人間らしい面が見えてくる、と。

今になって、腑に落ちました。

東京にいると、皆が敵に見えて不安になる。

道ですれ違う人、電車に乗っている人、全てが敵に見えました。
きっと自意識過剰を拗らせているからでしょう。

だからこそ、靴を見ることでその人の生活に思いを馳せ、自分との共通点を探して同じ人間であるという深いつながりを感じて安心したい。

哲学的ゾンビという言葉があります。

哲学的ゾンビ(てつがくてきゾンビ、英語: Philosophical zombie、略: p-zombie)とは、心の哲学で使われる言葉である。「物理的化学的電気的反応としては、普通の人間と全く同じであるが、意識(クオリア)を全く持っていない人間」と定義されている。引用:wikipedia

あ、せっかくなので知らなかった方は覚えて帰ってくださいね。テストには残念ながら出ません。

東京にいると、全員がこの哲学的ゾンビである気がしてならないのです。本当に意思はあるのか、思考しているのか、ただスマホを見ているロボットではないのかと。

それくらい皆が自分の芯を持っているようで、だからこそこの外部刺激に溢れた環境でも凛としていられるのだなと思うのです。

東京向いてない

私は東京についての意識が変わりました。
東京は住む場所ではなく、利用する手段にすぎないということです。

きっと東京で生活することに慣れるのであれば、この先どこででも生きていけるし、この東京が果たす機能をうまく使いこなせたら、仕事もできてお金も貯まって、人生の成功者になれるのかもしれない。あくまでも人生の成功者を金銭的な成功者と仮定した場合です。

でも、私はそれにはなれないし、なりたくないなと感じるわけです。(もちろんそうなりたい方もたくさんいると思うのであくまで私の話ですが)

心に余白を持って、人とつながり合って、ささやかな幸せを楽しみながら生きていきたい。

東京の人ができてないというわけじゃないけれど。自分が大人になってこの状況に慣れてしまったら、今感じている幸せはどこかに置いて忘れ去ってしまうような気がして怖いんです。

結局何を言いたいのか、自分でもまとまっていませんが、きっと私は東京に向いていないんでしょう。悔しいですが。

高円寺の古着屋のお姉さんと神保町の古本

ですが、そんな東京でも、心のオアシスがありました。

それは高円寺の古着店、JurianVintageのお姉さん。
ひたすらにかわいい、かわいい。接客をしてもらっている間、ずっとニヤニヤしてました。マスクに感謝。
東京に来て、初めて人に意識があると感じられる瞬間でした。

それと、神保町。これは古本屋が立ち並んでいることで有名な町です。
見渡す限り、本。棚から溢れそうなほど詰め込まれている、本。文庫本や単行本や雑誌がざっくばらんに並んでいる。もうおなかいっぱい。

東京に来て外部刺激に疲れ切っていた私にとって、1500m走を走り切った後に飲む冷えた水道水くらい、心と体に染み渡りました。


はぁぁぁ、東京楽しかったなあ。(ちょろい)
そして、今住んでいる場所に戻ってきて、あまりの居心地の良さに感動しました。やっぱりここがいい。

これは備忘録として成り立っているのかは自信がないですが、ニヤニヤしながら書けたのでOKです。

こんなめんどくさい私に付き合ってくれて、みなさまありがとうございます。

少しでもクスッと笑ってくださったのなら、あなたの感性はとっても素敵です。大切に育てていってください。

ではまた。

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