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ネプリ『Vol.2 あめふる』

ネプリ『Vol.2 あめふる』(八幡氷雨さん、鈴木智花さん)を読みました。
印象に残った歌を引きます。

カーナビは雨には触れず淡々と喋る ルートを外れてもなお

八幡氷雨「雨を攫えば」

カーナビが案内するのは、あくまで道順です。
運転手が目的地に着くことだけを目的に、設置されているからです。
それが主体には不思議にも感じてしまっている。
普段なら気にならないものに、違和感を感じる。
それは、主体に何らかの変化があったからでしょう。
下の句の「ルートを外れてもなお」は、実際の運転のことではなく、主体の人生と読みました。
相手が人間であれば、主体の変化に気づいて声をかけてくれたかもしれません。
しかし、一緒にいるのは機械だけです。
もしかすると、本来なら助手席に座っていたはずの誰かが、いなくなってしまったのではないでしょうか。
喪失感を感じるお歌だと思いました。

脇役と自覚している脇役を愛する役が傘を差し出す

八幡氷雨「雨になれない」

この歌には、「脇役と自覚している脇役」さんと、「脇役と自覚している脇役を愛する役」さんがいます。
「脇役」はあまりよいイメージでは使われていないようです。
スポットライトが当たらない場所で、前者は雨に濡れ、後者は傘を差し出します。
「愛する」は強い言葉だと思います。
恋するでもなく、支えるでもなく、「愛する」のです。
脇役を自覚するというのは、自傷行為にも近い自己認識だと思います。
その人を「愛する役」は、与えられたものではなく、「脇役と自覚している脇役を愛する役」さんが自分で選んだ役なのではないかと思いました。

雨の降るあいだは本を読むといい そのうち文字が降りだしてくる

鈴木智花「雨の雑詠」

上の句でどうしてだろう…?と惹き込まれ、下の句でとても魅了されたお歌でした。
下の句は、夢中になって本を読んでいる様子を描いていると読みました。
文字が雨のように降りだして、主体の身体に染み渡っていく。
そんな豊かで稀有な読書体験を、主体は知っているのだなぁと羨ましくなりました。

長靴の中も濡らして傘ならばたくさんまわしたほうが勝ちだよ

鈴木智花「雨のこども」

長靴の中まで濡れてしまうほどざんざんぶりの中、子供たちが走っている様子を想像しました。
大人になると傘はただの道具ですが、子供にとってはわくわくする武器だったり、おもちゃだったりしますよね。
子供用のちょっと小さくてカラフルな傘が、クルクルクルクル回っています。
びしょ濡れで帰って、家の人に怒られるまでがセットでしょうか。
それでも主体はまた何回でもやってしまうでしょう。
楽しさがあふれているお歌だと思いました。

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