なんで新潟に越したのだろう

東京の神田に実家があったもので、長男が生まれると同時に独立して最初は埼玉県の北本市で工房を開きました。自宅兼工房で、工房部分は8畳を二間を使ってやっていました。

母が新潟の出だったこともあり、最初にお仕事いただいたのが、新潟県五泉市の慈光寺様だったり、新潟市の宗現寺様に様々ご紹介いただいたりで、新潟のお寺のお仕事が多くなっていました。

独立して2年経ったころ、新潟の建築修復のかたからのご紹介で、新潟の佐渡ヶ島の仁王様を直さないかという話が持ちあがりました。像高2.8mもある仁王様は、民家の8畳二間の工房には入りきらないですし、貧乏で、家と工房の2軒の家賃払うことは出来ないので、では、自宅兼工房の2棟ある家を探してみようと始めたら、ネットで見つけた、新潟県の今の工房兼住宅をみつけました。(でも、この仁王様修復させていただいたのは数年後でした。。よく決まってもいないのに思い切ったな。。)

新潟県には彫刻史の専門家がいないので、古い像が見つかるなんていうこともあったかもしれませんが、当時、埼玉県指定の御像を修復させていただいたり、周辺のお寺から少しずつお仕事いただいていましたし、今、埼玉県内見ると、まだまだ古い御像は見つけられますし、鎌倉から室町の歴史の厚みが全然違うのを感じます。で、今工房を見ると、他県の御像が多く、埼玉の御像も何体か。。何で、埼玉県の山の方にしなかったのかなと、思ったりもしますが、色々な何かが呼んだのでしょう。





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