どうして仏像修復家になったのか

古民具骨董好きの祖父が亡くなり、そのがらくたを色々もらって、古いもののデザインの良さを知り、柳宗悦の民芸の本を読んだり、東京の骨董市(東郷の杜、乃木神社、平和島など)に行ったりして、骨董屋さんになりたいなんて思って、これが直せれば面白いなと思っていたり、神田の古本屋が実家のすぐ近くだったところから、古美術関係の本を買っては読んでいた(浪人生だったのですが。。)ところに、文化財保存科学コースのある母校を知りました。出願するまでは、仏像なんて全く興味はなくて、「仏像が直せれば、他の何でも直せるだろう」という安直な考えで、仏像修復の研究室を志望してました。大学に入って色々勉強すると、造形的にも、構造や技法的にも、漆や木や膠や顔料という材料の扱いもとても面白くてはまっていきました。そして、何より、純粋に鑑賞芸術として作られたものではなくて、信仰の対象として使われるものとしての美しさを追求されている部分に惹かれました。

元々、そんなに手が器用というわけでもなく、絵心がない私ですが、大学院まで勉強して、大学の先生の工房で修業させてもらって、独立して仕事させていただけるようになりました。何がきっかけになるか分からないものです。

仏像修復しててありがたく思う事は、地域の人々が長い年月、代々大事にしているものをお預かりして、元気になって戻っていただくと、とても喜んでもらえることです。

だいたい、仏像を修復したいなんて思うかたは、徳の高いかたで、いい人ばかりで、こちらがいい空気をいただいて過ごせています。

さてご期待に応えていかないと。


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