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高橋是清の知られざるペルー銀山事件- 【小説】紅銀(ルビーシルバー)解説

【小説】紅銀(ルビーシルバー)の背景

 【小説】紅銀(ルビーシルバー)は、高橋是清が起こしたペルー銀山事件という実話を元にしています。
 ペルー銀山事件とは、1889年(明治22年)に高橋是清と当時の大物事業家達が集まって、南米ペルーのカラワクラ銀山に開発投資をしたものの、失敗し、高橋是清本人を含め、事業家達が多大な損失を被ったという事件です。そして、この時に鉱山の調査を行った田島晴雄という鉱山技師がその調査で虚偽の報告を行ったとして事業家達から詐欺で訴えられ、裁判の結果有罪となったというものです。
 この記事のタイトルでは「知られざる」となっていますが、高橋是清の伝記や是清を主人公にした小説などでは必ずと言って良いほど取り上げられているので、そういう事件があったという事はご存じの方も多いと思います。「知られざる」とは、事件の細かい経緯などが、その是清の自伝に書かれている程度にしか知られていないという意味です。
 事件は田島晴雄による詐欺という事になっていますが、筆者はこれが本当に詐欺であったのかについて疑問を持っています。高橋是清の伝記などを読むと、全て田島晴雄のせいであるという事を盛んに言っていますが、一鉱山技師であった田島晴雄にそのような欺罔の意図があったというのは考えにくいです。筆者はその辺の経緯を事実と創作、想像を混ぜて小説を書き上げましたが、改めてこの記事で、その小説の背景について、解説する事とします。


【小説】 紅銀(ルビー・シルバー)|奥平旋|note


ペルー銀山事件の概要
 
この事件は、オスカー・ヘーレンというペルー在住のドイツ人から、井上賢吉という使いの者を通して、日本に銀のサンプル(鉱石)が持ち込まれたことが発端です。この鉱石を当時の鉱物学の権威である巖谷立太郎に鑑定してもらったところ、濃紅銀鉱と呼ばれる高品位の銀であったことが判明します。そのため、日本側は一機に鉱山投資に前のめりになります。

https://www.mindat.org/photo-1122931.html
(Hudson Institute of Mineralogyの鉱物のサイトから)

 そこで日本側では今でいう投資組合のようなものを作り、調査を始め、そしてペルーの銀山への開発投資に取り組む事となります。ペルーでの鉱山開発投資は莫大な資金を必要とすることから、日秘鉱業株式会社を発足して広く資金を集める事となります。日米和親条約が締結され、一般的に日本が開国したと言われる1854年(嘉永7年)から、まだ三十数年しか経っていない段階で、このような海外での大規模開発投資に取り組むというのは、かなり大胆な試みであったと言えます。これは、純粋に銀山開発によって得られた銀を、日本の国力増強のために利用したいと考えたからのようです。メンバーの多くが熊本国権党に関わる者が多かったことからも、この銀山開発が国粋的な活動の一環であったということがわかります。この投資に関わったメンバーのうちの主要人物であった三浦梧楼は、熊本国権党にも関わっていただけでなく、頭山満の玄洋社にも関わり、そして、後に大日本国粋会という強力で暴力的な右翼団体の結成に関わります。
 そのような国権拡張運動の一環という側面のあったペルー銀山開発投資ですが、結論から言えば、失敗に終わります。原因は調査不足であり、現在の海外投資での失敗で良く見られるように、デュー・デリジェンスの欠落です。その責任はペルーに調査に行った田島晴雄にあるとされ、田島は詐欺で訴えられ、仙台の刑務所に投獄されてしまいます。


日本側の事業組合

 ペルーから来た井上が日本にもたらした銀鉱石に多大の興味を持った藤村柴朗が声を掛けて集めたメンバーによって、当初の事業組合が形成されますが、その時のメンバーは以下の通りとなっています。

藤村柴朗 - 熊本県出身、実業家、現メルシャンの創業者、貴族院議員
三浦梧楼 - 山口県出身、軍人、学習院院長、枢密院顧問(朝鮮特命全権大使のときに閔妃事件を起こす。)
古荘嘉門 - 熊本県出身、紫溟会を組織、熊本国権党総理、衆議院議員、貴族院議員
高橋長秋 - 熊本県出身、軍人、実業家、肥後銀行頭取
高島義恭 - 熊本県出身、実業家、朝鮮釜山埋築会社を設立、紫溟会を組織
佐竹作太郎 - 京都府出身、実業家、東京電灯社長
小野金六 - 山梨県出身、実業家、富士製紙社長
 
 三浦は長州出身者ですが、軍人時代に熊本に居たこともある関係で、熊本出身者などの九州人脈を持っていました。藤村や古庄は、後に熊本国権党となる柴溟会という団体とも極めて近い存在でした。
 なお、この熊本国権党の創設を主導した者の中に、安達謙蔵がいます。安達は三浦と共に、1895年に閔妃殺害事件を起こした翌年に、柴溟会のメンバーとともに熊本国権党を立ち上げました。
 つまり、ペルー銀山の投資開発は、最初から日本の国権拡張を目的とする国権主義者達によって主導されていたというわけです。


日秘鉱業株式会社

 ペルーから持ち込まれた銀鉱石を鑑定した、当時の鉱石学の第一人者であった巖谷立太郎が紹介した田島晴雄という鉱山技師がペルーに調査におもむき、田島はそこで、オスカー・ヘーレンとの間で有限責任日本興業会社の契約を結び、カラワクラ鉱山を中心とする鉱区の購入を決めます。
 日本の組合は、そのままでは資金が不足するため、日秘鉱業株式会社を設立します。
 その株主に名を連ねるのは、上記のメンバーから古荘を除いた6人と、その他合計で24名です。
 
(発起人)当初事業組合員プラス4名‐計10名

高田慎蔵:高田万由子さんの高祖父 - 新潟県出身、官僚、実業家、高田商会創設者
荻昌吉:映画評論家荻昌弘さんの祖父 - 熊本県出身、官僚
森岡昌純 - 鹿児島県出身、官僚、実業家、寺田屋事件で攘夷派を倒す。日本郵船社長
奈良原繁 - 鹿児島県出身、官僚、実業家、日本鉄道初代総裁、貴族院議員
 
(株主)発起人プラス14名‐計24名
高橋是清 - 東京府出身、言わずと知れた官僚、実業家、銀行家、貴族院議員、財務大臣、首相
大久保利和 - 官僚、貴族院議員、大久保利通の長男
前田正名 - 鹿児島県出身、官僚、貴族院議員
武井守正 - 兵庫県出身、政治家、実業家、鳥取、石川県知事
牧野伸顕 - 鹿児島県出身、大久保利通の次男、宮内大臣
藤波言忠 - 京都府出身、宮中顧問官、貴族院議員
河野鯱雄 - 長崎県出身、理学士、地質学者、
有吉平吉 - 熊本県出身、政治家
沢村大八 - 熊本県出身、実業家、熊本第百五十一国立銀行頭取
九鬼隆一 - 兵庫県出身、官僚、帝国博物館総長、貴族院議員
米田虎雄 - 熊本県出身、軍人、宮中顧問官、男爵
曽我裕準 - 福岡県出身、軍人、実業家、宮中顧問官、貴族院議員、日本鉄道社長
巖谷立太郎 - 滋賀県出身、東京大学理学部教授
田島晴雄 - 山形県出身、理学士、旅館吾妻屋主人
 
 このリストを見てもお分かりの通り、事業組合から日秘鉱業株式会社の株主まで、いずれも当時の有力者であり、その後も日本の政財界での有力者であった者ばかりです。
 これだけの有力者が集まって、有望な鉱山と踏んだからこそ多額の投資を行ったわけで、それが全くの成果を上げられなかったという結果は当事者達にとっては受け入れ難いものだったのでしょう。そのため株主達は、調査を行った田島を詐欺で訴えます。でも田島に騙す意図(欺罔の意図)は有ったのでしょうか?


詐欺事件としての裁判

 田島晴雄は、日秘鉱業株式会社の株主等によって詐欺で訴えられ、実際に有罪となり、仙台(当時は仙臺と表記していたようです。)の宮城集治監という監獄に投獄されます。
 裁判は二段階で行われました。まず被告側は、検察による起訴不受理の申し立てを行っています。この辺は小説にも書きましたが、不受理の理由は、当時の刑法に日本人の国外犯の規定が無く、詐欺が行われたとしてもその行為は海外で行われたものであるので、日本の裁判管轄が及ばないとするものです。一審では起訴無効の決定が出たのですが、上級審で覆りました。そのため、田島による詐欺を巡って本裁判に進みました。その本裁判でも、田島が一審で勝訴するのですが、やはり上級審で覆ります。
 残念ながら、この裁判の記録が見つかりません。新聞報道はあるのですが、最高裁などの検索システムでは発見できませんでした。すべての判例がウェブ上で公開されているわけではないのと、古い裁判記録だと国立国文書館などに分散している可能性もあるので、折を見てまた各方面を当たってみたいとは思ってはいますが、本当のところ、欺罔の意図がどのように判断されたのか、現在の詐欺罪の構成要件に照らしても妥当な判断だったのか、という点が法学を学んだ者の端くれとしては気になります。この点は如何ともしがたいです。


果たして詐欺だったのか?

 上述のように、裁判で本当のところ、どのような判断に基づいて有罪とされたのかはわからないのですが、新聞によると田島がヘーレンと共謀し、日秘鉱業株式会社がヘーレンとの有限責任日本興業会社の契約を結ぶにあたって、仲介手数料を受け取ったということですので、この手数料の受け取りがヘーレンとの共謀に当たるのかというのが、裁判での一つの争点だったものと推察されます。
 それでも、「詐欺」が成立するためには、当時の刑法でもおそらく、欺罔の意図を持って取引などへ誘い込んだという事実が必要だったはずです。果たして手数料を受け取ったことで欺罔の意図あったと判断できるのでしょうか。詐欺の被害者は、日秘鉱業株式会社の出資者である株主ということになり、手数料の受け取りは間接的には、株主の資金を自分のものにすることになるため、その点で欺罔の意図が推察されたのではないかと思われます。それでも、田島自身、日秘鉱業株式会社の株主であったわけですから、構図の上では、自分自身をも欺罔したという事になります。理屈の上からはおかしなことになっていると思いますが、そこは田島の受け取った手数料額と出資額の比較で判断されたのかも知れません。
 田島に非があるとすれば、調査の不足でしょう。田島晴雄がペルーに派遣され、現地で調査を行ったというわけですが、高橋是清の伝記本には、是清が問い詰めると田島は山には行かずに文献だけ見て調査報告書を書いたと白状したとあります。しかし、これは他の資料を付け合わせてみると事実とは反するように思われます。実際に田島は、1回目のペルーの訪問時にカラワクラの現地まで行っているのです。しかし、現地に行ったとして、当時としては実際に何ができたのでしょうか?ボーリングの技術は当時も有ったようですが、しかし4,000メートルを越える山に一人で行って、どれだけの事ができたでしょうか?おそらく、山の近くに行き、地層が露出している地点があれば、そこで大体の多少地質を確認して、後は、文献などでその確認を行う、という程度が想定されていたものであり、現地の調査ももともと限界があったのではないかと思われます。
 このように考えていくと、田島が欺罔の意図を持って調査報告をしたという事ではなく、過失というべきものでしょう。それも当時の技術と、調査予算の範囲内で、ベストエフォートとは言えなかったという程度の過失であると思われます。
 いずれにせよ、結局のところ、現代での日本企業による大型海外投資案件での失敗でも良く見られるデューデリジェンスの欠如が原因のようであり、日本人の意外な拙速さが露わになった最初の事件だったという事もできそうです。
 なお事件後、田島が是清に宛てて書いた詫び状というのがあるようです。小説の中にも出てきますが、これは創作部分です。本物の詫び状が現存しているのかどうかは不明です。少なくとも国会図書館と都立大学で保管されている高橋是清関連文書の目録には田島晴雄からの書簡というような項目がありませんでした。ただ、この詫び状を読んだという人の記事が1890年(明治二十三年)の「女学雑誌」という雑誌に掲載されています。この記事では、西洋人の狡猾さを非難するとともに、世事に暗き理学士の難儀さこそと思い遣られるとして、田島に同情しているのです。


髙橋是清の責任

 是清の伝記などでは、是清は終始、田島に責任を押し付けています。しかし、高橋がペルーを訪れた時に同行した屋須やす弘平こうへいは、既にその時点で、是清とヘーレンの間で投資の内容についてかなり交渉が交わされていたという事を証言しています。屋須も後に田島の調査不足の責任については言及していますが、それでも、是清がペルーに行く前から、ヘーレンと様々なやり取りをしていた記録も残っている点には注意が必要です。これまで考えられていたのと違って、屋須が是清の伝記で述べられている時点よりももう少し前に是清が事業に関与、参加し、口を出していたと述べている事は重要だと思います。つまり、この投資案件は、確かに藤村達が主導して始めたものですが、かなり早い段階から高橋主導に切り替わっていたようです。
 是清には物事を進めるのに拙速なところがあったようで、このペルーの事件以降、何件かの国内での鉱山開発に投資をしますが、悉く失敗しています。このペルーの事件でも、結局、そうした是清の性格が出てしまった面があったのではないかと思われます。実際、事件後、世間では是清に対する批判の声が大きかったようです。その意味もあって、是清が盛んに田島のせいだ、という事を言いふらしていた感があります。 
 このように考えたとしても、是清はどこか愛される存在であった事も事実でしょう。この後、是清は一時的に蟄居のような形で引き籠っていたものの、すぐに日銀に呼ばれ、そして横浜正金銀行で海外との交渉能力を発揮し、日銀総裁として総理大臣にまで登り詰めたのは、良く知られている所です。時代が是清を必要としていたのでしょう。


ヘーレンの謎

 この銀山開発投資に誘い込んだ張本人であるペルー側の当事者であるオスカー・ヘーレンが日本側に投資を急かしたような形跡があります。何しろ、カラワクラ鉱山が既に掘りつくした廃鉱であるということは、当地の鉱山関係者の間では知れ渡っていたそうで、ヘーレンがそれを知らなかったとするのは不自然です。鉱山開発投資の失敗による損失はヘーレンも被った、とヘーレンの子孫の方々も証言しているようですが、実際のところどうだったのか良く分かりません。
 ヘーレンは日本に住んでいたこともあるドイツ人で、大変な日本贔屓という事らしく、リマの自分の邸宅に日本庭園まで拵えていました。でもこれがどうも、日本人を信用させ誘い込む仕掛けであったようにも思われるのです。
 ヘーレン側は意図的に調査を妨害していたフシもあります。ヘーレンは田島が山に調査に行くとすぐに、現地の者と連絡を取ります。すると、現地では田島を歓待する宴を連日のように催したようです。もちろん、歓待する側に悪意は無く、単にこれから鉱山開発で地元に多大なお金を落としてくれるであろう日本の技師を手厚く持て成したというだけの事だったのかも知れません。しかしながら、山の事情を知っているはずの現地の者達とヘーレンによる、調査の妨害であった可能性も否定はできないのは無いか思われます。この点については謎が残ります。
 特に、ヘーレンがカラワクラ鉱山がさんざん掘りつくされた山だということに日本側が気付いた後、再調査をしたいという是清に対して、鉱山を買い取ってからにしてくれ、と調査を拒みところも、現代の感覚からは不自然です。
 日本が投資から手を引いた後、ヘーレンは、カラワクラ鉱山を売却して利益を出したとも言われています。果たして、欺罔の意図をもって日本人を廃鉱に近い銀山開発に誘い込んだのか、それともヘーレンもまた一人のチャレンジャーであったにすぎないのか、この点は今も謎のままです。

ガイヤーという胡散臭い男

 ヘンリー・ガイヤーという男が、田島の最初のペルー訪問時に、カラワクラ鉱山の調査に同行します。ガイヤーは鉱山などで使用する機械の代理店を営んでいた男で、要はその売り込みのために田島に親切にしていたというわけです。
 この男、田島の2回目のペルー訪問時、つまりカラワクラ銀山が掘りつくされた廃鉱であった事が判明した時に、事も無げに、前から知っていたと言い出します。つまり、日本人達は、ほとんど廃鉱同然であることを知ってはいるが、長期的な視点で開発投資を続けるのだと思っていたかのような事を言いだしたのです。もちろん、機械の商人としては、鉱山が有望かどうかなどは知った事では無く、とにかく機械が売れさえすれば良いという事なのでしょうが、これは誠実義務に違反していると言えるでしょう。そればかりか、ペルーの事情に詳しいガイヤーは、ヘーレンとも元々知り合いであり、ヘーレンと共謀していた疑いすらあります。
 この点、最初に調査に同行した田島は理学士であり、残念ながら、こういった海千山千の者達を相手にする経験には乏しかったのですが、一鉱山技師にそのような知識経験を要求するのは酷でしょう。


田島晴雄のその後-旅館吾妻屋の話

 日本に帰り、裁判でも詐欺罪で有罪となり、仙台に投獄されていた田島は、出獄後、東京の今の新橋、当時の地名で烏森からすもりですが、その地において吾妻屋という旅館を始めます。ちなみに、当時烏森のあたりを新橋南地と呼ぶことも有りました。今の新橋と銀座の間に「新橋」という名の橋があったため、銀座側を新橋北地と呼び、烏森側を新橋南地と呼んでいたようです。
 小説では、お吟という元芸者と一緒に旅館を始めるとなっています。実際に田島はマサという元芸者と結婚し、二人で旅館を経営することになりますが、小説とは違って、実際にはマサが先に旅館を始めていたようです。田島が投獄されていた時に、既に芝区烏森町吾妻屋の宣伝広告が新聞に載っています。
 二人がどのように知り合ったのか、本当のところはわかりません。理学士の矜持に折れ、傷ついて監獄から出て来た男を向かい入れた元芸者と一緒に旅館を経営して行くというところに、ストーリー性を感じたのが、筆者がこの小説を書いた動機です。そして、この吾妻屋は高級旅館として成功します。
 
大日本博覧図 (adeac.jp)
(吾妻屋の創業間もない頃と思われる絵)

 吾妻屋は高級旅館であり、また当時、東京の玄関口が汐留であったことから、地方出身の政治家などにも盛んに利用されていたようです。現代でも永田町界隈のホテルがしばしば政治家による何等かの謀議の舞台となったりしますが、吾妻屋でもそうした事が繰り広げられていたようです。
 吾妻屋の利用客(新聞記事などから出入りしていた事がわかる者達、宿泊者を訪ねた場合を含む)には、以下のような名前があります。

(政治家)
浅野長勲 - 元広島藩主、イタリア公使、貴族院議員
小林樟雄 - 政治家、板垣退助の自由民権運動に参加し、自由党結党にも関わる。
(なお、自由党は吾妻屋を本部にしていた事がある。)
小泉又次郎 - 小泉純一郎の祖父
島田三郎 - 神奈川県選出の衆議院議員
白川友一 - 実業家、衆議院議員、満州で阿片不正輸入事件を起こす
とう金作 - 福岡県選出の衆議院議員
征矢野そやの半弥 - 福岡県選出の衆議院議員、福岡日日新聞社長
野田卯太郎 - 福岡県選出の衆議院議員、逓信大臣、商工大臣、立憲政友会副総裁
 
(軍人)
東條英教ひでのり(東条英機の父)、
 
(文士)
内田魯庵、与謝野鉄幹、滝野、与謝野晶子、里見弴、久米正雄、りゅう鉄雲(りゅうがく、中国の作家、考古学者)


カラワクラ鉱山のその後

 鉱山について、是清は最初、大量の良質な銀の採掘は諦めざるを得ないとしても、少量の生産で長期に投資資金をゆっくり回収する可能性があると思っていたようです。その事を株主にも打診したようですが、株主たちは首を縦に振りませんでした。もちろん、そうした長期投資が成功する見込みというのが明確であったわけではない以上、株主たちがいわゆる「損切り」の方向で決断したのも無理からぬ事でした。
 結論から言うと、是清の見通しは間違ってはいませんでした。日本との鉱山会社設立が不調に終わった後、へーレンはカラワクラを含めた鉱山を友人に売却し、実は相当の売却収入を得たようです。
 そしてそのへーレンの友人は、カラワクラで銀だけではなく亜鉛も採掘することに成功し、事業を軌道に乗せました。さらにその後、鉱山は英国資本のヴォルカン鉱山会社に売却され、ヴォルカン鉱山会社は亜鉛、銅と鉛の産出に成功し、事業を成功させています。
 結果論を言っていても仕方がありませんし、日本から遠く離れた地での銀山開発は、予期せぬ出来事などの時に余分な費用が掛かった可能性もあるので、日本がそのまま事業を続けていてもヴォルカン鉱山会社と同じような結果になったとは限りません。
 いずれにせよ、開国からそれほど経っていない、国際ビジネスの経験も薄い中で、果敢に銀山の開発に挑戦した、という、その気概だけは、もう少し尊重されるべきものかも知れません。こうした失敗が無いと次には繋がらないでしょうから。


(参考文献)
 本稿や小説の基礎的な部分はこの本に基づいています。
『銀嶺のアンデス -高橋是清のペルー銀山投資の足跡 La Primera inversión japonesa en el Perú 1889』五味 篤著・馬場 勉編
https://latin-america.jp/archives/13268
 
 あと高橋是清の伝記と言っている部分は、次の本によるものです。
高橋是清自伝(上) -高橋是清 著 上塚司 編|文庫|中央公論新社 (chuko.co.jp)


(補記)「香華」との類似性

 筆者の書いた小説が元芸者が旅館を経営する話という事で、有吉佐和子さんの小説「香華こうげ」を思い出された方もいらっしゃる事でしょう。木下恵介監督による映画化もされていて、そちらをご覧になった方も多い事でしょうが、岡田茉莉子さんが明治から昭和までの芸者上がりの旅館の女将を好演していて、私の好きな日本映画の一つです。
 香華の主人公は赤坂芸者であり、紅銀では烏森芸者という事になっています。実は、紅銀の中でのちょっとした小道具などの表現は、香華を参考にさせてもらいました。それでも、ペルー銀山事件の田島晴雄が元芸者と旅館経営をしたというのは、実話であり、その点について香華を参考にした、というわけでは無いです。
 「香華」は、祖母、母、娘という三大に渡る確執(真ん中の母がかなり我儘な性格となっています)がこれでもか、という具合にかかれており、今でいう毒親の話ですが、映画も三時間を超える大作ながら、この母娘喧嘩をもっと長く見ていたいという気にさせられます(笑)。原作が有吉佐和子さんの数多くある傑作の一つですが、映画の方も木下恵介監督作品の中でかなり印象深い一作になっていると思いますので、興味が有る方は御覧になられると良いと思います。

香華 前後篇 - 映画情報・レビュー・評価・あらすじ・動画配信 | Filmarks映画


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