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上高地の魅力②

上高地の魅力①の、生活の豊かさを前提として、そこから先を考えてみたいと思います。

「自然の中で、自然から学ぶ」
私が関わる、みやしろ森のようちえんで、ずっと前から使っている言葉です。

でも、そもそも「自然って何?」という疑問は、私自身ずっと持ち続けていました。
何から何を学ぶのか、うちのようちえんだけでなく、かなり曖昧な認識の中で、多くの人が自然との触れあいを求めています。

上高地の魅力②として、とても神秘的な雰囲気を感じられます。
「自然」という言葉を無理に使わなくても、そこに根源的な「何か」があります。

上高地は観光地としての価値、人為的な維持の是非、経済活動の損得も含め、さらに環境問題の問題提起があり、さらに永続性に疑問があります。①で言及した豊かさの反面、社会的な制約にがんじがらめになりかねない場所であることは間違いありません。

どちらも正しい論争には、ちゃんとした答えは出ません。
社会性の中で妥当な対処方法を見つけるよりも、まずは体験的に問いに立ち向かう、自分自身の姿勢というか立ち位置を探してほしいと願います。
このことを私は「自然から学ぶ」ということのような気がします。

人間は社会性の生き物だと誰もが言います。
アカデミックに客観性を求められれば、社会性こそが人間生活のすべてになりかねません。

上高地の懐の豊かさから学べることは、社会性の前に自己(自分自身)を確立する、という自然な順序です。

自分の中に家族との生活があり、生活が文化を生み出し、文化の交流が社会性となります。
幼児に無理やり押し付ける社会性が、創造的な生活を生み出すことがないのが、順序から生じる道理です。

言うまでもなく社会性は大事です。成人したら人生のすべてに関わる、重大なスキルになるでしょう。

それでも教育においてでは、先んじて社会性から見ようとする変則的な道は、並列に扱うこと自体が欲張りで、理にかなわないのです。

先んじて個を育て、その生活の風習の中から文化と、創造的な芸術観(芸術的な創造性=感性)を生じさせ、そこから社会を眺める視点を熟成させるのではないでしょうか?
教育において、順序は思いのほか重要だと思われます。

①にも書いた通り、上高地は教えてくれます。
豊かさとは、柔らかな微睡みのような安心感の中から生じる憩いです。

上手く言語化できなくても、その無言の説得力の中に、また上高地の独特な魅力があるように思えるのです。

白い壁に囲まれた窮屈な場所でなく、生命が解放される、目に収まりきらない自然の説得力に身を任せ、自分自身に磨かれた感性の力をつけていく。「自然」について考えるときに、そうした魅力を感じながら、謙虚に愛する大人になってほしいと願います。

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