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【読書感想】夜叉桜 あさのあつこ

この本の概要

江戸の町で女が次々と殺された。北定町廻り同心の木暮信次郎は、被害者が挿していた簪が小間物問屋主人・清之介の「遠野屋」で売られていたことを知る。因縁ある二人が再び交差したとき、事件の真相とともに女たちの哀しすぎる過去が浮かび上がった。生きることの辛さ、人間の怖ろしさと同時に、人の深い愛を『バッテリー』の著者が満を持して描いたシリーズ第二作。

「BOOK」データベースより

感想

前作「弥勒の月」であさのワールドを知り、さっそくシリーズ本をいくつか購入。文庫で400pとそれなりのボリュームでしたが昨日の仕事&家事終わりから読みはじめ、そのまま寝るまでの間にいっきに読んでしまいました。
前作も良かったけど、より登場人物の人となりがみえてきたことで、読み手である私のなかの人物像に深みが増して、さらに面白くなってきました。

こういう時代モノって主役級の人間はそれなりにいい人設定であることが多いんじゃないかと思うんですけど、信次郎はホント、全然いいやつじゃありませんね…。

このシリーズでは場面場面で、視点が変わります。
ただ、読み手が共感しやすいのが伊佐治で、シリーズ最初、冒頭の描写での視点が伊佐治だったってのもあるので、どうしても読み手の私は伊佐治に寄ってしまうというのはあるかもしれません。伊佐治の感情に共感できるぶん、信次郎の性格の悪さもまた素直に受け取ってしまうのかな、と。
でもそんな2人も前作から比べるとちょっといい感じ。気に食わないけどお互いビジネスパートナーとしては認め合ってる感じが良いです。

あと、前作に引き続き登場した清之助さん。この人と信次郎の会話がヒリヒリしててとても好き。

ワタクシ的名言

強がってみたって、良いことなんてありはしません。あっしはね、強え人間てやつが、どうにも信用できないんで。弱くて、情けなくて、自分にすぐ負けそうになってしまって、ぐずぐず足掻いている。そんな奴の方が、いざとなったら信じられる気がしやす。

p145 より

何があったら強い人と言えるのか、強い人が本質的にどこまで強いのか、はわからないけど、自分の中の綻びや矛盾に気付いていないからこそ強くいられるというのはありそう。
自分の弱さや情けなさをちゃんと直視できて、そこから目を背けずにいられる人が、私にとっては強い人なので、見た目、強そうに見える人ってのは実はたいがいメンタル豆腐説。


この老獪な岡っ引きの細かな問いに答えていくうちに、隠れていた糸口をふっと探り当てることがある。そういう経験を幾度もしてきた。何気ない、稚拙とさえ思える問いかけが、埋もれていたものを暴くきっかけとなる。伊佐治は自分の役割と信次郎の知力を充分に心得たうえで、矢継ぎ早に通っているのだ。

p282より

伊佐治と信次郎の仕事上での関係性を表してる描写。伊佐治のシンプルな問いによって切れ者な信次郎をさらに鋭くする。
伊佐治がやってることはコーチングっぽいなと思った描写。これが問いの威力よ。


人は、誰もが夜叉を飼う。
よくわかっている。
弥勒にも夜叉にもなれるのが、人と言う生き物なのだ。ときに弥勒、ときに夜叉。いや…仏と鬼との真ん中に人がいる。それはまた、仏でもなく、鬼でもなく、仏にもなれず、鬼にもなれず、人は人としてこの世に生きねばならぬということなのかもしれない。

p358より

あぁそうだなぁと思いました。
残酷な殺人をした容疑者もその人の全てが夜叉ではなくて、弥勒な面もきっとあって…。
私たち人間というのは危うい淵のところでぐらぐら揺らぎながら、かろうじて人として生きてるっていうだけなんでしょう。
人が夜叉になるきっかけはきっと本当に本当に些細なところからあるんだと思います。何かの箍がはずれたら私もたぶん夜叉になってしまうかもしれません。
だから人はおもしろく、また、恐ろしい。

時代物は、スマホのような便利グッズもなく、今より圧倒的に共通の知がない社会がベースにあるからこそ、人と人との情や悲哀、無常感などが、現代物より際立ってみえます。
広い世界をどうにかするという世界感ももちろん好きではありますが、日々を懸命に生きる市井の人のなかにも大きなドラマはある。
半径5メートルの世界での濃密な悲喜こもごもを感じられるのが、時代物のおもしろさだなぁと読んで改めて思いました。

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