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Organize my thoughts

春なのに、太陽の光はギラギラしていて、初夏を感じるこの頃

いろんな思考があちこちに飛びすぎて、収拾がつかなくなったので、noteで頭の中を整理しようと思い立った。

思い立ったという言葉には嘘があるかもしれない。以前、エッセイが小説につながると聞いたので、ちょっと書いてみようと浅はかな思い立ちで始めたというのが本当のところだ。

とりあえずまず何から書き始めればいいのか、迷うところだけれど、最近自分の子ども時代をよく思い出すので、そこから書いてみたいと思う。

私は生まれこそ違うが、3歳ごろから西日本の日本海側で育った。海外からも漁船が入港することもある港町で、父の地元でもある。朝早い港の賑わいが終わると、あとはひたすら静かな町だ。私が住んでいたところは、港から割と離れており、畑と田んぼが広がるさらに静かな町だった。

田舎、と書いてしまえば、単語二文字で終ってしまう。いろいろ考えたが、これといって特徴もない、普通の田舎町だ。田舎町によくあるのんびりとした時間が流れていて、どこの家も鍵なんてかけていなかった。

子どもの頃は田舎、都会と意識はしていなかったが、小学生の頃、家の裏庭で遊んでいたら、頭が三角に平べったいミミズが出てきた。当時はインターネットもない時代なので、図書館で調べると、それはヒルの一種で、生息地は山奥と書いてあり、子どもながらにうちの庭先は山奥レベルなのかと驚愕したのを今でも覚えている。

とはいえ、私は子どもだったので、うちの庭が山奥レベルなのもすぐに受け入れて、野猿のように毎日外で遊んでいた。あの頃は、本当に生傷がたえない子どもだった。そしてありとあらゆるところに登りたがった。家の屋根、ブロック塀、木、特に家の前に生えていた木によじ登って過ごすのが、一時期自分の中ではまり、いつもよじ登って、木を揺らしたり、ぼんやりしたり、木から木へと移動したりして過ごしていた。ちょっとスリリングなことが好きだったんだと思う。それは今でも変わらないのかもしれない。

野猿のような私は、よく近所の小さな森や、竹藪の中を探検していた。兄弟と一緒だったり、友達とだったり、一人だったり。家の裏庭の目の前にあった神社の竹藪は、自分の家の敷地のように思っていた。近所の小さな森もよく探検して、お気に入りの場所を探すのが大好きだった。

小さな森といえど、木々が生い茂っていたのだが、その中に木が密集していない、子どもが二、三人くらい入れるような空間がたまにあった。その空間は木の葉のざわめきすらも遠くに感じるほど、静かでひんやりとしていた。今思い出すと、厳かな空間だったと感じる。そんな場所をいくつも探し、ここは友達と遊ぶところ、ここは一人でぼんやりするところと自分の中で決めていた。よく考えれば、その森は誰かの土地だっただろうが、遊んでいても一度も咎められたことはなかったし、そもそも誰かに会うこともなかった。

田舎で育って、自分は幸せだったかと考えると、正直よく分からない。そこしか知らなかったし、田舎の子どもの世界は本当に狭い。でも自然が豊かで、空気も綺麗、海や山があり、食べ物が新鮮だったのは、幸せだったんだろうし、贅沢だったと思う。じゃあ今、故郷に戻って生活できるのかと問われると、無理だと確信できる。田舎が嫌いというより、もう十二分に満喫したという言葉がピンとくる。

今後もいろいろ思い出したことを書いてみよう。


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