「悲しみの秘義」を読んで(1)

自分なりに感じた事を文章を引用して紹介しようかと思います。特に誰かに見せるつもりで書いているわけでないので、ご了承下さい。

心を開くとは他者に迎合することではない。むしろ心を開くとは自らの非力を受け入れて、露呈しつつ、しかし、変貌を切望することではなくだろうか。

最近、オープンマインドという言葉をよく耳にします。誰に対しても笑顔で接すること、相手を受け入れることなのかなと捉えていました。正直、親には申し訳がないがあまり顔立ちは綺麗ではない、というより地域にあっていない(まあその話は追々)。だからこそ顔付きが良くありたいと思い笑顔でいるように心がけました。話を聞くゆとりを持たなくてはとも思い、聞く側に徹底しました。まぁこれに関しては元々人の話を聞くのが好きだったので特に大きな問題はありませんまでした。

ありがたいことに周りの方々からはここ数年可愛がってもらえる。でも代わりに弱音が吐けない。どんなに辛いと思っていても「あなたは大丈夫だよ」と言われしまう。「君はかっこいいから」と何度異性に言われたか、、

唐突ですが、ガッキーが好きです。単純に可愛いからです。どうしたらガッキーみたいになれらのだろう?何を食べれば、何をしたらガッキーになれるのかひたすら考えたこともあります。でもある時気がつきました。私はガッキーになれないけどガッキーも私にはなれない!、と。たぶんこの時は疲れていたのでしょうね笑笑

そんな考えから、花にはなれないけど大きな樹にはなれるのかな、むしろなりたいな思うようになりました。

話をもとに戻しますが、心を開くという事は自分にできる事できない事を知り、それでも自分を認め、次にすべきことを見つけることなのではないかと最近は感じるようになりました。

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