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「文化祭前夜」。

もう10年近く前のことになるかと思うが、某所に、

「文化祭前夜」ってことば、というか、感覚が好きだ。

みたいなことを書いた覚えがある。

今日のうちはまさに「文化祭前夜」的な一日で、ちょっとへとへとになって「帰っ」てきた。
「部屋」の前を通り過ぎてまでしていつものスーパーに寄る気力も無く、道中のコンビニで晩ご飯購入。今日は3食コンビニ。というか、3食セブンイレブン。(汗)

10年の歳月がそうさせたのか、あるいは他に要因があるのか、今の私はとても「文化祭前夜」を楽しめるような状態では無い。
今日、廊下でグズグズしている男の子がいて、思えば、去年の今頃も彼はそうだったような記憶が。そうだよね。うんうん。

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私、自殺をする人の気持ちがまったく分かっていなかったってことに、この数日気付いた。つくづく。
「親しい」とまでは言えないが、それなりに付き合いのある若い人4人ほど(「ほど」って言い方はもちろん誠に失礼なのだが、それは「お付き合い」の程度のため。「喋ったことはないけれど存在は知っている」って子も含まれてるし。その辺りからの「ほど」です。ご容赦を。)と、彼らの自死というかたちでお別れをした。
私は若い彼らに、
「そんなことで死ななくてもいいんだよ♪」
とか、
「とにかく、死んじゃダメだ!」
みたいなことまで偉そうに言って、過去には植木等の「黙って俺についてこい」を熱唱して聞かせたりしたこともあったのだけれど、情けないことに、今、自分がこのような有り様なのである…。(泣)

「八方塞がり」なのだ。

いや、周りから見れば全然塞がってなんかいないように思えるかもしれないけれど、当の本人にとっては完全に「塞がり」。「詰み」。逃げ場なんてもうどこにも無いし、「死」が一番楽で、それこそが「救い」であり、「希望」なのだ。

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明日から始まる「文化祭」的イベント。開会行事で、ボス(胡蝶蘭の君)は、堅苦しい開会の挨拶をする代わりに、小ボスと一緒に「漫才」をするのだとか。今の私はそれを聞いただけでも生きるエネルギーを奪われてしまう。もちろん、彼女に罪は無いのだけれど。

逃げられそうで逃げられないんですよ、当の本人には。
でも、それ以上は甘えまい。
自分で解決したいと思っています。

皆さん、ありがとうございます。感謝!

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文化祭前夜の空に檸檬ひとつ