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「ちび」。

ちび、ちびといつも書いてしまうけれど、本当はもう小6なので「ちび」呼ばわりは彼に対してたいへん申し訳の無いことだ。(学年の中では小さい方ではあるけれど。)

「ちび」は、幼い頃から実はあまりちびであることがなかった(ような気もする)。

街でよちよちとおぼつかない歩き方をするおさなごを見ては、
「**くん(=「ちび」)にもあんな時期があったのかなぁ?」
「最初から大きかった気がするよね」
などとよく「妻」と話したものだ。

彼は生まれたときからちびじゃなかった。

生まれるとき、それはきっと助産師さんが技術的に「未熟」だったためだろうと思うのだが、彼は相当苦しみながら生まれた。途中、そばにいたベテラン助産師が割って入り、彼を取り出してくれた。顔は真っ黒で、息をしていなかった。叩いたのか、心臓マッサージをしたのか、酸素吸入をしたのか、もう忘れてしまったけど、とにかく、少ししてからようやく弱々しく産声を上げ、彼は「生まれた」。(でも、今思うと不思議なことだが、私たち夫婦は、なぜかそのことで病院側を責めることは一切しなかった。一度、謝罪のような言葉を聞かされたように思う。だから、やはり彼らになんらかの「落ち度」があったのだろうとは思うが、我々はなぜかそれに対して一切腹を立てるようなことはしなかった。「新生児仮死だった」と後に言われた。)

しかし、そのまますぐにNICU(新生児集中治療室)に入れられ、以来、私たちにとってはガラス越しにしか彼に会うことのできない数日が続いた。

「妻」が母乳を絞って冷凍し、それを私が病院に届けるような日が続いた。

NICUには未熟児、超未熟児がたくさんいたので、うちのちびはその部屋の王様、親分みたいだった。ガキ大将みたいで、なんだか申し訳ないような思いもした。(もちろん何の悪さも意地悪もしてないんだけれど。)

私は毎日仕事帰りに(自宅経由で)病院に行って、「妻」から預かった母乳を届けたり、した。

数日するとガラス室から出ることができるようになり、ようやく、抱きかかえたり、哺乳瓶からお乳を飲ませたりすることができるようになった。

寝るのが仕事の赤ちゃんは、私が顔を見に行ったときも寝ていることが多く、また、夜のNICUはそうそう人も多くはなくて、ひとりで赤ちゃん言葉で話しかけ続けるのも照れくさく、私は彼を抱いて宮沢賢治を読み聞かせたりした。「やまなし」とか「なめとこ山の熊」とか「銀河鉄道の夜」とか。もっと明るい話の方が良いのではないかとはそのときも思ったけれど、家に適当なものがなく、毎日鞄にその本を入れて出勤し、帰りに、眠っている彼に読んで聞かせた。

そんな彼ももうすぐ12歳になろうとしている。