見出し画像

終わった日

それは大きな音を立てて崩れていった。

そんなことはなかった。

ただ・・・目の前にどこからともなくは針金が現れた。         
真横にピンと一本に伸びていた。その瞬間音もなく、目の前で切れた。ゴムのように伸び縮みするわけでもなく、糸のように垂れさがるのでもなく、ただ切れた。

隣の芝生は青く見える。                       うちは他人から見ればそれなりに幸せそうな家族だと思う。でも、どんな家族にもそれなりに色々ある。些細なことには目をつぶる。それが夫婦。つぶらないのが親子。所詮、夫婦であっても他人。親子は家族。兄弟姉妹は結婚した時点で、微妙になる。連れ添う相手によって変わる時があるから。これは私が思う‘’家族の定義’のようなもの。やたらめったにこの定義は言えない。冷たい人とか色々思われるから。

常々、私は一線は超えないように過ごしてきた。

子供もいるとなおさら自分を抑えて社会生活をする。ある意味子供が人質のようにも思える。親の見た目や行動、言動はすべて子供の評価にもなる。あまりにも姿を見せない首を突っ込まない場合も同じだと思う。

昭和は違ったとかよく聞くし思うけど、よくよく考えてみるとインターネットが普及した為だと思う。どーにもできないから、それなりに輪の中に入る。入ってると思う。

そーなると、今度は夫婦間でこじれてくる。せめて夫婦間では本音でって。でもここでも価値観の違いがある。話すことで相手の事をより理解できるようになる。なんとなくは分かる。表情、態度、話し方。でも、口数少ない場合は?言わなくても理解しろ?そんな人と夫婦になったから諦めろ?だから無理だって。だって他人なんだもん。その口をこじ開けてみると・・・いいことなんか一つもないよね。

じゃーどっちがいいの?

言わなくてこじれて、言ってこじれて・・・。一線までにはまだ少し線がある・・・。行って言っちゃうか?

ただ話し方の問題なのに・・・夫が言わなかった、私が言い過ぎた。


パンドラの箱を軽く開けた日。

夫から放たれた一言。そして、そこから出てきた物は針金だった。


初めて目の前で針金が切れた瞬間、私の中で夫が家族ではなくたった・・・



今日が終わった日になり、始まった日になった。


#創作大賞2022

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?