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非日常は誰かの日常の芝生を歩くこと

みなさんこんにちは、ウリごろうです。

今年も例年の如く台風が接近して、各地で轟音を巻き上げてるみたいですね。

あまりにも被害が出るもんだから巻き上げてるのは本当に音だけかい?傍迷惑なやつだなあ、なんてぶつくさ言いながら、家から出る事が出来ないもんで、事前にコンビニで買っておいた酒などをちびちびと飲みながらこの文章を書いてます。

話は変わりまして、先日、「非日常を体験できる!この夏のアクティビティ!!」みたいなテーマで特集を組んだ番組を見ていました。シーカヤックやラフティング、絶景の名所なんかが紹介されていて、綺麗だね〜なんて言いながら両親と見ていたんですが、

「ガイドの人間からしたら見慣れててつまんないだろ」

なんて言葉が横にいる父から飛び出してきて。
うわ〜〜〜ノンデリ親父〜〜〜なんてツッコミながら、その場では特に気にしてはいなかったんですが、急にこの時の事が気になって、

「非日常ってなんだろう?」

についてしばらく考えていました。

また話は変わりまして、これは1社目の転職を前に、貯金していたお金を使って「今まで経験したことない非日常を体験する旅をしよう」って名目で1ヶ月間国内を回り、レジャー施設や秘湯なんかを巡って、旅の最後にスカイダイビングをした時の事でした。

小型セスナにぎゅうぎゅう詰めになって、上空約4,000メートルまで一気に昇り、飛び降りながら見る景色や吸い込む空気、感じる温度全てが新しくて、「これこそが私が体験したかったことだ!」なんてご満悦になりながら、インストラクターの方がハーネスを外し終わるのを待っていました。

インストラクターの方が、ハーネスを外すや否や、すぐに先ほどまで私に向けていた笑顔で別のお客さんのところに走って行きました。興奮冷めやらぬ私を置いて周りはいつものように回っていく様を見て、今私が体験した興奮はこの人たちにとっての当たり前なんだと気付きました。

映画、漫画、多くのエンタメは誰かの日常の上になり立っていて、人に限らず、森、川、海、自然だってそこに生きている生き物達の日常によって保たれていて、

「誰かが過ごす日常の上を、別の誰かが非日常と呼んでる」

当たり前なんだけど、この歳になってやっと気づきました。

そして、いざ気づいてしまうと自分の日常というものが急に特別に感じてきて、「よし、頑張るぞ」と力が湧いてきたので、まずは落ち葉で散らかった庭の掃除から手をつけようと思います。


おわり

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