空想すること とか

最近、思っている事 考えている事が ごちゃごちゃしているから、ここに久しぶりに 自由に書いてみようと思う。

私は宇宙の話や、SFが好きだ。
また、自由に想像を巡らせることも大好きだ。

でもそれは同時に、私は 世間の言う現実的に物事を考えるのが、あまり好きではないということでもある。
ある意味 綺麗事や屁理屈、作られたストーリーや理想を信じたい気持ちがあるのかもしれない。
試行錯誤したことは きっと自分の糧になる。信じ想像し続けたことは、無意識に自分がその方へ選択し続けるから、きっと現実として形になる。一見 悪く見える人にも、そこへ至る過去や訳があったり、良い部分も持っているはずだとか。一部の人に現実は そんなに甘くないと言われそうなことを、信じたくなったりする。

でも誰しも、その人の頭で思いこんでることが、知らず知らずのうちに その人のストーリーとなっているだろう。そのストーリーという物は、自分の五感を通して取り込んだ シーンの連続と、解釈で出来ていて、過去から未来へと向かう時間軸が貫いている。しかし実際 今 この瞬間、目の前には、現在しか存在していない。過去と未来は、物質的には人の意識の中に存在しているから、ストーリーを紡いでるのは自分自身、はたまた その人自身と言えるだろう。ストーリーは その人にとっては当たり前で絶対的でありながら、実は 虚像でもあるのだと思う。

そう考えると、他の生き物にとって世界は、実は 人間が当たり前のように捉えているものとは、違うのかもしれないと思ったりもする。もし、未来から過去に遡って生きている生物がいたとしても、人間の目からは、過去から現在へしか観察できないわけだから、気づかないのではないかと思う。私は科学者でなくて知識がなく ただの空想だから、反論されそうだけど...。

こんな風に私は、みんなが思い込んでいる世界から、少しずれて物事を考えるのが 好きなように思う。社会では それらは当たり前のように流され、とある メインの大きな意識の流れに同調したり、私もそちらにハマり込んだりもする。でも、そこにずーっと どっぷり浸かっていると、時に息苦しさを覚える。みんな その世界しか見えていないように感じるけれど、本当に そうなのか。自分にとって大切だったり大事なことって、そこではなかったかもって気分になる。これは、理想や想像へ 逃げているだけだろうか。ある意味、みんな 大きな意識のストーリーへと同期するのが、上手だなぁっと感じてしまったりする。いやこれも 私の目を通した、思い込みなのかもしれない(*´꒳`*)

(次へ、やんわりと続きます→)

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