殺人事件の参考人として同行された時の事　つづき

日記を閉じて、デイパックに仕舞いながら考えた。ゲノム情報が警察のデーターバンクに保存されることに、何か不都合があるだろうか？将来的には分からないけど、今のところは別に無い。
　僕はＤＮＡ鑑定を受ける事を承諾した。
「　ご協力　ありがとうございます　私は、こうゆうものです」
捜査員は、それが決まりになっているのだろう、１枚の名刺を差し出した。
　受け取ってみると、警視庁の金色のエンブレムがプリントされている名刺だった。
　２人の捜査員に囲まれて歩いて行く。路上に特徴が無いことが特徴みたいな渋い青色のセダンが停めてあった。年式は少し古い、自動車には詳しくないので車種は分からない。
　覆面パトカーだ。いざとなると、屋根からパトライトが出てくるやつだ。
　

ちょっと話しと合わないけどね。

僕は、後部座席に背後から追跡してきた捜査員と一緒に座った。警察署に着くまでの間、少し雑談をした。ふたりとも捜査チームのメンバーだけど、僕の前に立ち塞がった捜査員は地元の警察署の人だけど、背後で逃げ道を塞いだ捜査員は、警視庁からの応援なのだそうだ。
　TVドラマなんかだと、警視庁から派遣されてきた捜査員は、横柄で地元の警察を見下しているように描かれる事が多いけど、僕の横に座っていた警視庁の応援捜査員は、とても紳士的で、むしろ地元の捜査員に対して遠慮がちだった。

その部屋は、取調室とは、違う用途に使われているみたいだった。警察署の中の道場の近くにあった。道場からは、逮捕術の訓練をしている気合の入った叫び声が聞こえてきたけど、捜査員が部屋のドアを閉めると、何も聞こえなくなった。部屋に窓は１つも無かった。広くは無い。6畳くらい。灰色のスチールのデスクには撮影機材。書類を入れとくディスクキャビネット、何処でもみかけるパイプ椅子。
　奥の方に、蛇腹カーテンで仕切る事の出来る小さなスペース。中の様子は分からなかったけど、取り調べる人に、服を脱いでもらう場合に使うのでは無いかと思った。
　部屋には２人いて、彼らは僕をここに連れてきた人とは違う人だ。

　先ずは、近状についてあれこれ質問され、その後で何枚もの書類にサインと拇印を押していく。それが終わったところで、全身の写真を撮り、次に顔写真。正面、右の横顔、ついで左の横顔。次に右手と左手の掌紋、全ての指先の指紋。履いているスニーカーのソールパターンも調べられた。

ウエットティシュを渡され、手の汚れを落としたところで、柄の長い綿棒を渡された。
　それを口の中に入れて、右の頬の内側を３回擦り、次に左の頬の内側も同様に３回擦る。それで終わり。
　綿棒は、特に何かで密封する訳でもなく、そのまんま、見たところ普通の封筒に入れられた、それから封筒を糊付けする箇所に、サイン。
　それは、封筒がＤＮＡ鑑定する施設に届くまでの間に開封される事を防ぐためだそうだ。
　１時間ちょっとくらいだった。終わったあとに、ご足労代として三千円の入った茶封筒をくれた。
　いいな、ＤＮＡ鑑定！毎日来てもいいと思ったくらいだ。
　ＤＮＡの採取が終わったあと、捜査員の人達は、ホテルの近くまで送っていくと言ってくれたけど、僕は食事をして帰りたかったので、最寄りの駅までにしてもらった。駅前から少し離れた交差点の信号機のところで、覆面パトカーから降りた。デイパックを担ぎ直している間に、覆面パトカーは走り去った。

駅前のカフェに入ってコーヒーとサンドイッチを注文した。茶封筒から千円札を出して、レジで支払いを済ませるとコーヒーとサンドイッチを持って、店の奥のテーブルに座った。スマホを取り出して事件の事を検索してみる。情報は少ない、殆どは新聞の記事をコーピーしただけ、殺人事件なのに新聞の扱いは驚くほど地味だった。新しく分かった事は何も無かった。要は、南船橋駅の近くで深夜、帰宅途中の女性が殺害されたことだけだった。
　だけど、僕にはそれだけで充分だった。南船橋駅近辺のことなら、かなりよく知っている、１平方メートル単位で知ってると言っても良いくらいだ。
　駅の東側には、ららぽーとと船橋競馬場がある。夜遅くまで人通りがあるし、交通量も多い。ららぽーとの店舗に商品を納入するトラックが一晩中走っているし２４時間営業のセブンイレブンもある。いくら深夜でも、あの辺で殺人事件があるは思えない。
　南船橋の西側は３つのエリアに分類できる、一番北の方にあるのがイケヤだ。でもイケヤは深夜にはやっていないし、イケヤのうしろには巨大な物流倉庫がいくつもあるだけだ。トラックの運転手の目もあるし、だいたいあそこは、人の居られるスペースが殆んど無い。物流倉庫を縁取るように細い歩道があるだけだ。あそこで殺人事件が起きるとは考えにくい。
　駅前の中央には古い団地があって、駅と団地の間は、雑草が繁茂する湿った空地だ。(　現在は、ららぽーとテラスやマンションが作られていて開発が進んでいる　)　駅から団地まで歩いて３分もかからない。団地の中の共有地で、通りすがりの殺人事件が起きるとは思えないし、空地は前にある団地から見渡せるから、ここが現場になったとは思えない。
　残りは駅の西側の一番南方向、ここだ。細い道があって、片側は高速道路の高い防音壁、反対側は小さな公園と学校、水産物加工工場がある。夜は暗くって人通りは殆んど無い。公園は谷津干潟に流れる運河の側にあって、対岸にホームレスの集落がある。
　おそらく、あの辺りで事件が起きたはずだ。
　　　　つづく