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【小説】「君と見た海は」第六話「海を照らす光」最終話

五木田洋平さんの音楽「Like a beautiful tide」を使わせて頂きます。

第6話「海を照らす光」最終話

 アクアリウムの帰り道は会話が続かなかった。哀しい気持ちに支配されて、久しぶりに一緒に過ごしているというのに気持ちはばらばらだった。翔太はどんなつもりであの言葉を言ったのだろう? 

 「無色透明であることは、周囲から必要なものを吸収できる権利なんだ。今、僕と仁海ひとみちゃんが離れ離れでいることにもきっと意味があって、今はそれぞれに何かを吸収するべき時なんじゃないかなぁ?」
「僕がずっと一緒にいると、仁海ちゃんは自分で自分の人生を歩けなくなる。そんな気がする」
 私と別れたがっているのだろうか? その言葉の真意を知りたくて、彼をじっと見つめた。

 その瞳は普段よりもずっと穏やかで、スキという想いで溢れているように見えるのに、つないだ手は優しくて、哀しかった。

 久しぶりにこの町に帰省した翔太は、残りの二日間を中学校時代の部活の友達と約束したのだという。会えないまま、電車で一時間かけて再び寮に帰って行った。

 「自分の人生を歩く」とはどういう意味なのだろう? この言葉が頭から離れなかった。それから私は、翔太にLINEを送るのを止めた。翔太からスタンプが送られてくることもなかった。私たちは、あんなにも近くにいたというのに、少しずつ知らない人のように疎遠になっていった。

 その後の高校生活は、美月と一緒に美術部で油絵を描くことに没頭した。私の絵のモチーフは「海」。それは浜辺だったり、海の中だったり、ミズクラゲの群れだったりする。コバルトブルーが中心となる作品を描く時には、黄色系の下塗りをする。油絵は塗り重ねていく手法だ。海を照らす光を描きたい時に青系の色だけを塗るのでは、その彩度を表すには不十分だ。くすんだ暗い色を下に塗る必要がある。灰色や、ピーチブラックなどを下に塗ることで、その上に重なるブルーや、白いハイライトが際立つのだと知った。

 三年間を絵画に打ち込んだ私は、迷わず美術系の大学に進学した。そして学芸員の資格を取得したものの、就職には生かしきれなかった。美術館の求人は僅かしかなかったのだ。学んだことを生かせる職場を必死に探した。
 そして、学生時代を過ごした東京に残り、画廊カフェに就職することにした。オーナーに頼み込んで、その画廊に自分の作品「海」を数点飾り、必要な人がいたら販売も行うことになった。作品には、かつて翔太とアクアリウムで一緒に見たあの美しいミズクラゲの群れを描いたもの、故郷の浜辺を描いたものなど「海」にまつわる絵画ばかりだった。

 大学生の頃、私は二つ年上の先輩と交際をしたことがあった。でも、翔太のことが頭の片隅にあって、どうしても本気で好きになることができなかったのだ。「翔太だったら、きっとこんな言葉を掛けてくれるだろう」「翔太だったら、自分の気持ちに嘘をついたりしないだろう」などと、翔太の幻から派生した言葉が、一瞬、私の脳裏をかすめるのだ。忘れようとしても、無意識にその幻は浮かんでしまう。先輩とは、ぎこちない関係のまま終わってしまった。

 最初は、翔太のことを忘れようとしていた。でもいつの頃からか、無理に忘れなくてもいいんじゃないかと開き直っている自分に気付いた。そこから私は、自分を解き放ち、自由に生きることができるようになっていった。

 ミズクラゲが無色透明なのは、個性がないからでも、存在感がないからでもない。周囲から必要なものを吸収して、様々な色に染まって見える自由を手にしているのだから。私は今「自分の人生」を歩んでいる。
 自らも油絵を描き、様々な作家の絵も紹介し、必要な人に絵画を通してそこに込められた「思い」や「感情」を届ける仕事をしているのだ。
 かつて翔太から、「僕がずっと一緒にいると、仁海ちゃんは自分で自分の人生を歩けなくなる」と言われたことがあった。今なら胸を張って言える。自分の人生を歩んでいると。

 大学に進学して以来、私は長い間、地元に帰っていなかった。同窓会も、友達からの遊びの誘いも、頑なに断っていたのだ。仕事が忙しいことを理由にしながらも、ひょっとすると、翔太に偶然出会うことを避けていたのかもしれない。



 それでも地元に帰る日は、或る日、突然にやって来た。高校時代の親友の美月が結婚するという案内が届いたのだ。
 意を決して久しぶりに地元に戻って来た私は、三十歳を迎える年になっていた。真っ先に訪ねたい場所は、浜辺だった。懐かしい浜の香りに身を預けたかったのだ。



*  *  *

 高校一年生の五月の連休に、アクアリウムに一緒に行ったあの日から、別々の道を歩くことになった。僕たちは、きっとお互いのことをどこかで忘れずにいられるのだと信じていた。それは根拠のない僕の希望だったけれど、僕の毎日を支えていた。

 仁海ちゃんは地元の星島高校を卒業すると東京の美術系の大学に進学し、学芸員の資格を取得したのだと風の便りに聞いた。彼女らしい道を選択していることを嬉しく思い、安堵した。

 僕は、水産高校の海洋科学科で三年間学び航海士などの資格を取った後、地元に戻り、沿岸漁業に従事している。今は雇われ漁師をしているが、いずれ独立を考えている。漁師の仕事は僕に合っていた。
 まだ太陽の出ない未明に出港し、昼頃には陸に戻ってくる。海や風に触れながら魚を獲る暮らしは、穏やかな感情を育んだ。自然が相手だから、大雨の時や、高波の時は仕事は休みになり、自分の暮らしを整える時間となった。季節によって働く時間帯のばらつきはあるものの、手筒花火保存会の活動と並行して行うこともできた。

 僕は、地元に戻った年に、手筒花火保存会のメンバーとなった。父や、今は亡き祖父の知り合いが、気軽に声を掛けてくれた。僕が中学二年生の時、生徒会長の公約として始めた「中学校の体育大会での手筒花火の奉納」は今も続いているのだという。 
「あん時の中学生が、よう大きくなった。立派な青年じゃのぅ」
 と長老は目を細めて僕を見た。
 手筒花火を上げるには「煙火消費保安手帳」を取得することや花火師として火気取扱に関する資格も必要で、色々なことを見よう見まねで学んだ。
 同じ町内でも地区の保存会ごとに、手筒花火は作り方や上げ方に習わしがある。町の神社の例大祭などの前に集まって、手筒花火を作ったり、初心者のための手ほどきを受けたりした。初めての時は、難しくて、長老をまねて、同じように作っているつもりでも、うまくはいかなかった。「竹取」「縄巻」「火薬詰め」という工程があり、若い衆と熟練の長老が一丸となって準備をする。長老の態度が、ピリッとした空気を生み、安全に執り行うための集中力を高めていた。

 初夏のアジは格別で、小ぶりだが旨みが凝縮されている。アジを新鮮なうちに捌いて刺身にして食べるのは漁師の特権なのだろう。なめろうにしても、梅煮にしても美味しい。季節ごとに異なる自分で獲った旬の魚を、新鮮なうちに食べていると、自然と共に生活している実感がある。
 「漁師になって良かった」
 僕はあの頃、夢に描いた自分に近づいてきている。祖父から父へと代々続けてきた手筒花火を受け継ぐことにも、この町の産業である漁業をつなげていくことにも、やりがいを感じている。今は、漁業や魚を中心として食文化をもっと活発に全国にアピールできないものかと、漁業組合に入り仲間の漁師と共に考えている。

 三十を迎えて、まだ独り身でいるのは、いつか仁海ちゃんと再会できるのではないかという淡い希望からだった。彼女のタイミングで、いつかこの町に帰って来るのではないか? そう願いながら、約束をしていない人をいつまでも待ち続けていた。彼女が他の人と結婚していたなら、それはそれであきらめがつくだろう。

エピローグ  

 十数年ぶりに帰ってきた浜の香りが懐かしいこの場所は、私の故郷ふるさと。ここに来ると子供の頃、幼馴染みのあなたと一緒に無邪気に遊んだ楽しい日々が浮かんでくる。 

 来る日も来る日も砂浜を裸足で駆け回った。あなたはいつも私の麦わら帽子をふざけて取り上げるから、私は少しふくれっ面になって追い掛けた。
 追い掛けて、追い掛けて、辿り着いたのは、別々の道だった。でも、この場所に来れば、あの頃のあなたに会える気がしてつい訪ねてしまったのは、あなたのことをまだ忘れられないでいるから。 
 海は夏より秋の方が好きです。寂しさを優しく受け止めてくれる気がするから。私は、翔太のいない夏を何度過ごしてきたのだろう?


 私は昔を思い出して、砂浜の上に寝転んだ。空には初夏のわた雲が浮かんでいる。手を伸ばしたら届きそうに見えた。


 遠くから人の声が聞こえてきた。私はゆっくりと体を起こして、声のする方を見た。だんだん近づいてきたその声は、私の名前を呼んでいるようだった。砂浜の向こうから聞こえてきたのは、懐かしいあの人の声。翔太が、砂浜を駆けて来る。

 幻を見ているのではないかと思った。
「仁海ちゃんが帰って来たっておばさんから聞いたんだ。ここにいるんじゃないかと思って」

 息を弾ませながら、翔太はまるで昨日も会っていたかのような素振りで私に話し掛けてきた。
「今夜、初めて僕が手筒花火を打ち上げるんだけど、見に来てくれないかな?」

 私はこれまで一人でずっとこらえてきた感情の波が決壊するのを感じた。
それは、忘れようとしていた「愛する」という感情だった。 (了)




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