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メビウスの輪にのまれて

noteというのは宇宙のようなもので、500万人とも言われるnoterさんの、人数分の銀河系がある。私たちは同じ銀河系の中にあるのではなく、それぞれのnoterさんを中心とした個性的な固有の銀河系を有しているのだ。

その無数の銀河系に対して、数多くの接点をもって位置している銀河系が山根あきらさんのnoteであろう。もちろん、フォロワー数の多さは言うまでもなく、記事の多彩さや、投稿数や企画の多さから、様々なnoterさんとの交流をもたれている。
御本人は御自分のことを、「非社交的」と思われている節があるが、「わたし」などから見たら「社交的」だと思わざるを得ない。「わたし」も、コメント欄にお邪魔させて頂くことがあるが、様々なnoterさんから慕われているのが伝わってくる。

さて、そんな山根あきらさんが書かれた小説を拝読させて頂いた。とても楽しく、興味深く読ませて頂いたこの作品の名は、「漂着ちゃん」である。「漂着ちゃん」は、時代を超えて川に流れ着く少女の総称である。

ネタばれにならないくらいに、感想を述べさせていただこうと思う。

「わたし」はこの物語の語り部である主人公「私」の名前を知らない。これは、山根さんが意図的に主人公に名前を与えなかったのであろう。つまり、名前がないということは、どの人でもあるということを伝えているのかもしれない。「わたし」かもしれず、「あなた」かもしれず、この主人公の普遍性を狙っているというように捉えることができた。

そして、この主人公「私」の子供を授かる二名の女性は、なぜ出会ったばかりの男性に惹かれたのであろうか?

どうやらそこには時空的な秘密があったようなのだ。なおみさんに関しては、小説の中に描かれている。エヴァさんに関してはこの物語が「メビウスの輪」のような造りになっているところに鍵があるように思えた。

つまり「私」が第一話で別の正体に身を隠した「エヴァ」さんに初めて出会ったとき、それは実は、初対面ではなかったのであろう。

なぜか? それは最終話である「第50話」を読んでいただけたら分かると思われる。つまり、時空を超えて二人は何度も何度も出会っていたものと思われる。彼女にしか分からない男の魅力があったのだろう。男女が惹かれ合う時、ポジティブな理由などなく、なぜ惹かれてしまうのか理由が分からないこともある。

タイムリープは孤独であるが故に、共に時代を過ごしている時間の長さに比例して、男の哀愁に強く惹かれてしまうことだってあるのではないだろうか?

そう、メビウスの輪のように、ねじれ具合は異なりながらも同じところを何度も何度も繰り返し流されていくような、そういう不思議な物語であった。

実は、「AI所長」をつくったのは未来の「私」というところがまだ理解できずひっかかっている。「わたし」は、そう「メビウスの輪」にのまれたまま、まだ行ったり、来たりしているのだ。