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(日記)一緒に棚に上げてから話しあうこと

今日、日曜日は締め切り前の休日出勤で、昼前からオフィスに行って働いてました。そしたら先に着いてた同僚がムスーーーーーーっとしてたので、あれ、どうしたのかな、と気になって聞いてみたら、キッチンが汚かったから作業前に片付けたとのこと。あ、金曜日の夜は残ってたみんなで冷蔵庫のビールとワイン、ちょっと飲んでから帰ってたもんね。確かにみんなグラスやらおつまみの残りやらを流し近くにほっぽって帰っちゃった。

同僚: みんなお皿やグラスを食器洗い機に入れないで帰るのはおかしい。キッチン当番じゃなくても、食器は責任持って片付けるべきだ。
私: え、ごめん、私も置いてっちゃった。
同僚: 月曜日の全体ミーティングの時に議題に出さなければ(怒)
私: え、そんなに?(汗)
同僚: うん、みんなで話し合わなければいけない問題だと思う(怒怒)
私: 超ごめん....(汗汗汗)

全体ミーティングで議題にあげると言うことは、汚して帰った人をミーティングでわたし含めて糾弾すると言うことかな...あなたも置いといちゃうことあるでしょ...ヘェヘェそこを穏便に...と焦ったけど、途中で、あ、ついついネガティブになってしまった、これは違う、デンマーク人の議論の方法だ、と気づく。

彼女は誰かを非難したいのではなく、物事について非難して、問題を解決しようといる。そのためには、いくらでも自分を棚にあげていい。もちろん、他の人も一緒に棚に上げちゃう。実際の人の事情はあんまり鑑みず、その問題だけをみつめて一般論をひたすら議論し続ける。

前に働いていたグラフィックの会社でも、プロジェクトマネジャーとの関係や、締め切りのプレッシャーなどで鬱になってやめていくデザイナーが増えてきてしまっていた時、デリケートな問題の解決法を、全体会議で話し合おう、と言う機会が(しかも何度も)あって結構びっくりしてしまった。鬱になっていく現場に立ちあっていたり、実はその原因の一つにはなっているであろう関係者も含めて、みんなで大きな声で話し合っていた。正論もあえて話して、そこからもっと発展させて、いくつかの解決策に着地した。もちろん、自分のことは棚にあげたまま。

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話し合って解決策が見つかったら、それぞれ自分で棚から下ろして、個人的な問題として解決していけばいいだけ。(結局棚からおろせてないデンマーク人めちゃ多い問題はあるけど、それはまた別のおはなし)

海洋プラスチック・ゴミ問題も、環境破壊問題、菜食主義、食料廃棄問題、もどんな問題も、自分はちゃんと取り組んでないからそれについて意見できない....と思うこともなく、正論を怖がらずどんどん話し合っていく人びとは、見ようによっては無責任に、実は問題の核心に一番責任持って取り組んでるのかもしれないなあと、帰りぎわにマグカップを食器洗い機にしっかり入れながらぼんやり考えた。月曜日の全体会議、誰かに責められるのを怖がらず話せますように。


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