あなたは自由ですか?

「あなたは自由ですか?」

高校2年生の時、特別支援の知能テスト終わりにカウンセラーから尋ねられた。

母の隣で真剣にテストを受けていたわたしは、先生の目の前で迷わず

「はい」

と答えた。

自由かどうか。
そんなの聞かれなくても分かる。

古代ローマや近世の奴隷ならば衣食住の制限を受けていたり、
外では戦争が繰り広げられていたり、

また現代ならば、家が貧乏で学校に行けなかったり、
親から将来の進路を決められていたり、、

そんな制限はわたしにはない。

食べたいものを食べ、
行きたいところに行け、
なりたい職業を目指せる。

ていうかここ日本だし。

だから、
わたしは自由です。

けれど、
わたしの返答を聞いた先生は

「本当に?
本当にあなたは自由?」

そう言った。

え、自由でしょ?
そう反論したくなったけれど、

「わたしは本当に、
自由なんだろうか…」

という疑問が、わたしの心の中からふつふつと浮かんできた。
その違和感はずっと消えることがなかった。



それから4年後。
22歳になったわたしは思う。

「わたしは不自由」
だって。


不自由で不自由で、飛びたいと思うのに羽が思うように動かず空ばかり見ている鳥のように不自由だ。


高校生の時には分からなかった、
世界の理不尽さと、自分の実力不足に直面している。


どうしても入りたい企業があるのに、テストの点が足りなくて、面接をしてもらうことすら叶わない。

友達を作って、何気ないことで笑ったり、旅行したりしたいのに、コミュニケーションが下手で、誰かと会話することすらままならない。 

ミニのタイトスカートやフリフリのブラウスが着たいのに、似合う顔じゃないから中性的なTシャツを着て誤魔化してる。


そんな「したい」と「けどできない」
の間に挟まれて、思うように動けず窒息死しそう。

これって自由と言えるのだろうか。

子供の頃に信じていた
「なんにでもなれる」

という世界は、大人が作ったファンタジーだということに気付いた。

自分の頭の中で繰り広げられる「叶えたい」という想像の3分の2は消え去る。


わたしも、なんとしても夢を叶えたいと、副業をしたり、新しい場に行ったりしてみたけど、強固な現実は1mさえ動かなかった。


だから、非常に不自由だ。


まあ、こんな不満をタラタラ述べているけれど、私以外の人もほとんど同じだと思う。

例えば、
有名になりたいミュージシャンも、思うようにいかず、年が来たら現実に流され一般人として生きたり、

お金持ちになりたいサラリーマンも、開業して上手くいかず店を畳んでまた転職したり、

みんなどっか不自由さを抱えながら生きている。


反対に言えば、実力があれば夢を叶えられる確率は上がるんだけど、
その実力も生まれ持ったものや運が大きかったり。

自分の力ではどうしようもない
「なにか」がこの世では働いてるんだ。

何が言いたいのかと言うと、
そんな上手くいかない現実があるけれど、
その中で少しでも楽しみを見つけて、
出来事に流されて生きていくのが人生なのかな…。

と感じるようになった。


まあ、こう達観して生きていこうと決めた2022年だったんだけど、(まだ続くんかい)また不自由さについて考えさせられる出来事があった。


先日、わたしは
ひどい腹痛に見舞われた。

痛くて痛くて数時間に1回トイレに行くぐらい、ずっとお腹に悩まされていて、
2-3日ほどベットに寝たきりだった。


まあただのPMSなんだけど、私にしては珍しい不健康。

毎日習慣にしている英語の勉強も手につかないし、外にも出られないし、

生きているのに人生は進んでいない。
そんな状態だった。


腹痛が治ったあと、
久しぶりに外に出てカラオケに行き
「楽しい〜!」と感じることができたときは本当に幸せだった。

唐突だけど、
その瞬間、私はあの

「あなたは自由ですか?」
の言葉をもう一度思い出した。

あー、昨日お腹痛かったなー
どこにも出かけられなかったしー、
頭の中は常に腹痛のことばっか。

あの時、わたしものすごく
「不自由」
だったなと。

その時に感じた。
真の不自由とは不健康なんじゃないかと。

もし、あの腹痛が数ヶ月、数年、一生と続いていたら地獄モノだ。
常に頭はお腹のことで悩まされ、
外に行きたくても腹痛で出られず、
食べたいものがあっても思いっきり味わえない。
したい英語の勉強もできない…。

それって不自由そのものだ。

前述した通り、戦争や奴隷というものは確かに不自由なんだけれど、
今住んでるのは日本なのでそれはカウントしない。


それ以外で不自由というと、それは
不健康
これなんだ。

真の不自由とは不健康。

けど、今私は健康だ。

将来どうなるか分からないけれど、
今は身体が思うように動くことに感謝しながら、

不自由さとともに、自由に感謝して、自由になるために生きようと思った。

おわり。




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