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「○○してくれさえすれば」に男は気づかない

一言、好いとう、と言うてほしかった。いや、あんたが最後の最後に、うちをミミーと呼んでくれさえしたら、うちはもう何も思い残すことはなかったと。ばってん、あんたは何も言わなかった。うち、それを恨みに思うとよ。一生、恨みに思うばい・・・

宇江佐真理 『アラミスと呼ばれた女』

『アラミスと呼ばれた女』は、江戸末期の通詞の娘、お柳の物語である。子供の頃のお柳は、親同士が懇意にしていた縁でミミーと呼んで可愛がってくれた、榎本釜次郎(武揚)に思いを寄せていた。長じては、釜次郎に頼まれ、男の恰好でフランス軍事顧問団の通詞を務める。フランス人たちは、彼女をアラミスと呼んだ。

やがて「旧幕府軍総裁」として蝦夷へ行った釜次郎を、お柳は公私共々支えた。敗戦の色が濃くなり、死を覚悟して、一緒に連れてきた女たちとお柳を江戸に返す決意をした別れの場面で、釜次郎は「アラミス、達者でな」と言う。

その瞬間、お柳の中で何かが弾けた。今までフランス人が好んで遣った愛称を釜次郎は言ったことがなかったのだ。(中略)
「何んね、アラミスって。釜さんは今、うちのお務めは終わりだと言うたやなかか。うちは元の田所柳に戻っとうと? もう、アラミスではなかよ。ばってん、わざわざアラミスと呼ぶ理由は何んね」
釜次郎は、ぐうの音も出せず、お柳を睨んだ。(中略)
「ミミーと呼ばんね。うちをそう呼んでいたと?」
憮然として部屋を後にした釜次郎の背に、お柳はなおも覆い被せた。
「ミミーと呼ばんね!」

(同書)

江戸に戻った晩、眠れぬお柳が心の中で釜次郎に話しかけたのが冒頭の台詞である。お柳は身重であった。

この台詞、特に「あんたが最後の最後に、うちをミミーと呼んでくれさえしたら、うちはもう何も思い残すことはなかったと」に胸がつまった。さすが、女性作家だ。女か、女心の機微をよく知る男でないと書けない台詞だ。添い遂げることも好きだと伝え合うこともできないのなら、せめて名前を呼んでほしい。女にはわかるこの文脈が、男にはわからない。そもそも、女の「○○してくれさえすれば」に男はなかなか気づかない。それをしてくれさえすれば気が済むのに。

こんな差し迫った場面でなくても、「○○してくれさえすれば」頑張れる、別れる決心がつく、などと思う女は多い。しかしその気持ちが直接伝えられるとは限らないし、伝えたからといって叶うわけではない。伝えなくても察してくれる、というのはまず望めない。

それにしても、わざわざアラミスと呼んだ理由が本当にわからない。これは男の文脈なのであろうか。釜次郎の方も、何でわからないのか、と腹を立てていたのかもしれないが。(2018.11→2024改)

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