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工夫できることなら続けられる

ある仕事のプロになるって、仕事のおもしろさを見つけ続けていく能力なのかも。仕事自体を毎日食べるご飯にたとえると、飽きちゃ困るからいろんなおかずや、おいしく食べるためのいろんな工夫をしますもの。

枝元なほみ『クッキングと人生相談』

料理と人生相談とは不思議な取り合わせだが、『ビッグイシュー日本版』に寄せられた悩みに販売者たちが回答し、そこに枝元さんがメッセージと「悩みに効きそうな?」料理のレシピを添えるという、内容そのままのタイトルである。中には、こんなことを相談するのか、というものもある(枝元さんもそう書いておられる)。

どんな仕事でも、続けていると往々にして悩みや迷いが生じる。その最たるものが、この仕事に自分は合っているのだろうか、の類である。その一方で、何年やっても自分の仕事がおもしろくてしょうがない、努力も苦にならない、という人も一定数存在する。マスメディアがえてしてそういう人を取り上げるため、その数は実際よりも多く見えるし、その姿に憧れる人はさらに多いだろう。

それだけに、枝元さんの言葉にはほっとした。「おもしろさを見つけ続けていく能力」があれば続けていく資格がある、と言われた気がしたからである。何もしなくてもおもしろいものを探すのではなく、おもしろくする工夫が苦にならないものを探す。「合う・合わない」の境目はそこにある。前者だと考えてしまうと、それを探すことに一生を費やしかねない。

「あつらえたような」という言い方がある。自分の体や好みにぴったり合った服、とか自分のために用意されたかのような仕事、とかいうものにごくまれに遭遇するからである。洋服に関していえば、現在ほとんどの人がオーダーメイドではなく既製品を購入する。しかし彼らも仕事やパートナーとなると、俄然「あつらえたような」ものを探し始める。仕事には定員があり、好きな相手にも好みがあるのだが。

自分は仕事にはそれほど執着がないので、「そんなに嫌なことがない」仕事であればいい。その一方で、付き合っている相手に言いたいことが伝わらなかったり、その人との間に行き違いがあったりすると、若い頃はよく途方に暮れた。しかし、行き違いがあってもある程度続いているということは、十分「合って」いるということではないか。自信を持っていろいろ工夫すればよかったのだ。この人に自分は合っているのだろうか、などと考えるのはそれからである。(2019.7→2024改)

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