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連絡をくれない男

「久しくおとづれぬ比、いかばかり恨むらんと、我が怠り思ひ知られて、言葉なき心地するに、女の方より、『仕丁やある。ひとり』など言ひおこせたるこそ、ありがたく、うれしけれ。さる心ざましたる人ぞよき」と人の申し侍りし、さもあるべき事なり。

(もかこ概訳)「久しく女のもとを訪ねていなかった時、どれだけ恨んでいるだろう、でも今更言い訳をする言葉も見つからない、と思っていると、女の方から、『手が足りないので下男を一人よこしてくれませんか』と言ってきて嬉しかった。そういう気立ての女がいい」とある人が申しておりましたが、同感です。

吉田兼好『徒然草』三十六段

初めてこの話を読んだ高校生の時、こんな小賢しい女は嫌いだと思った。男も、恨んでいるだろうというなら何で早く謝らないのか。違和感とともに印象に残った。

それから結構な年月を経たある日。付き合っている人にちょっとしたプレゼントを渡す機会があり、思い立って初めてカードを添えてみた。ところが、お土産を渡した時でも「ごちそうさま」のような簡単なメールがくるのに、何も連絡がない。普段しないことをしたばかりに、あのカードがまずかったのではないか、という考えがふつふつとわいてきた。それを振り払うことができないまま二週間くらいたった頃、寝覚めにふと「仕丁やある」という言葉が浮かんだ。そして、自分の方から事務的なメールを送ってみようかな、という気になったのである。

「仕丁やある」の女も、思い当たる節があったのかもしれない。片や男は、連絡がないのは自分のせいかもしれないと気に病む女が一定数いることに思い及ばず、気立てのいい女だ、などと気楽なことを言っている。まあ女であっても、こういう状況におかれたことがなければ、あるいはそうなる前に「なんで連絡くれないの」と言える人であれば、待ちあぐねて事務連絡を送る女の気持ちはわからないだろう。

そんなことを考えたので、久しぶりに『徒然草』に関する本を読みたくなった。そして、この段について光田和伸氏が、女は皇女延政門院にお仕えした一条という女房ではないかといわれるが本当のことはわからない、兼好と一条は結婚を考えていたが周囲の反対により叶わなかったと伝えられている、と書いておられるのを見つけた。

もう結婚することはできない相手を、こんなに長いあいだ引っ張っておいていいのだろうかという気持ちが、兼好の側にあったのではないかと思います。それでしだいに、足が遠のくということがあったのかもしれません。  

光田和伸『恋の隠し方― 兼好と「徒然草」』

推測どおりだとすると、「仕丁やある」は哀切なメッセージである。やがて兼好は女の元を訪れなくなり、数年後彼女は亡くなる。光田氏によると、そのあたりの事情がわかる一〇四段が、二人の別れの場面だという。

さて。自分なりの「仕丁やある」を送ってみたら、拍子抜けするほど機嫌のいい返事がきた。若い頃はそれができなかったので、じっと待っていた。そもそも当時は携帯電話がそこまで普及しておらず、事務連絡をすっと送る、ということが難しかったのだ。連絡の取れないまま時がたち・・という話をよく聞いたし、それがまた、自分もそうなるのでは、という恐怖をあおった。もちろん、事務連絡すらできないようなら今でも同じことになる可能性は十分ある。(2020.5→2024改)

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