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女は『上書き保存』、男は『名前を付けて保存』。

映画「秒速5センチメートル」で印象的な、表題のフレーズ。

「秒速5センチメートル」は、「君の名は。」で飛躍的に知名度を上げた映画監督・深海誠さんの作品だ。
深海さんの作品は、音楽や映像がとにかく美しくて、独特な世界観で日常を表してくれる。その世界観にずっと浸っていたいと語る、コアなファンが多いのも特徴だろう。私もその映像美には強く惹かれているし、彼のほとんどの作品を見ているのだが、私が深海誠さんの「秒速5センチメートル」を最初に見た日のことは、忘れられない思い出となって心に刻まれている。

  *  *

高校生のとき、少しだけお付き合いをした先輩がいた。
私なりにその人のことを大切にしていたつもりだったけれど、会うたびに相手が情緒不安定になり、私に優しくしたり、急に「さっさと帰ってよ」と突き放したりということが相次いだので、息苦しくなってお別れを告げた。
泣いて縋られ、考え直すように言われたけれど、どうしてもその人との未来を想像することができなくて。お別れした後「最後に1つだけ、映画を一緒に見てほしい」と漫画喫茶に連れていかれ、二人で見たのが「秒速5センチメートル」だった。

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「秒速5センチメートル」の簡単なあらすじをお伝えすると
小学生だった主人公の男の子が、自分とどこか似ている同級生の女の子に恋をするもの、遠距離になったり、素直になれなかったりで、結局うまくいかなくなってしまう。
後半で、主人公は大人になって新たに彼女をつくるものの、小学校のときに好きだった子をどうしても忘れられず、生きる意味すら失って、仕事をやめてしまう。でも、肝心のその女の子は、すでに新たな人を見つけて結婚し、幸福な日々を過ごしている。

三部構成で、幼少期、高校時代、大人になった主人公ーーという時間軸が描かれるのだが、とにかく主人公は過去の恋にとらわれ続けている。目の前に自分を愛してくれ、自分が愛したいと思う誰かがいても、やっぱり過去に愛した彼女のこと、伝えられなかった思いに戻ってきてしまう。

「女は上書き保存、男は別名で保存」。
男女の恋愛はそう言われることが多いが、ずっとその人のことを忘れられず、吹っ切れない男に対して、女は新たな恋で上書きし、そのまま過去の恋を忘れていく。そんな男女の特徴(?)がよく描かれている作品だと思う。

挿入歌として山崎まさよしの「One more time, one more chance」が流れるのだが「新しい朝 これからの僕 言えなかった『好き』という言葉も」「いつでも探しているよ どっかに君の姿を」とまあ、とにかくひたすらに、ひたすらに、主人公は女々しい。景色はどこまでも美しいのに、もう戻れない過去と、伝えられなかった思いにがんじがらめになった主人公が描かれている。

最後、町なかに彼女の姿を見つけた主人公はとにかく追いかけるが、踏切にさえぎられ、一瞬彼女の姿を見失う。電車の過ぎ去った線路、その向こうに彼女の姿はない。でも、主人公はふっと笑い、彼女を探し追うことを諦めて、そのまま去っていく。

この笑みは諦めなのか、それとも決別して前に進もうという決意なのか。そこは一切描かれていないので、わからない。

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映画が終わった瞬間、元恋人からひと言「この話をどう思う?」と聞かれた。「どうって、せつないなあと思ったよ」と、あたりさわりのないことを答えた私に対して、彼が言い放ったのは

「どうせもかちゃんは、俺のことを上書き保存して忘れていくんだ。
女ってそういうものだよな」

そういうもの、ってなんだろう。
この人は私に何を見ていたんだろう。

「そういうもの、かな」
言葉を選んで、ようやく絞り出したひと言に、その人は

「そういうものだよ。どうせ俺は消されるんだよ」

この人が、私へ最後にこの作品を見せた意味が、なんとなく分かった気がしたけれど、私は何も言わなかった。

   * *

恋愛にかかわらず、私は自分の人生を侵害する人や、自分の心の安寧を脅かす人のことは、自分の意識のなかからはずすように意識している。
楽しいことで上書き保存をしているつもりはないけれど、過去にとらわれ続けている時間があるのなら、少しでも楽しいことを重ねて、限りある人生を笑って生きていきたいと考えている。それを「上書き保存」というのなら、世間一般で言われる「女は『上書き保存』、男は『名前を付けて保存』」という通りの生き方をしているのだろう。

でも、ふとした瞬間に、過去の悲しかった出来事や苦しかった出来事が自分のなかに蘇ることは当然ある。機械でもなんでもない私には、心の「上書き保存」なんて、そう簡単にできやしないのだから。

「One more time, one more chance」が町なかで流れるたび。
深海誠さんが話題になったり、作品が取り上げられるたび。
私の脳裏には、嫌でも「秒速5センチメートル」を見せられた日のことが過る。薄暗い漫画喫茶。割り勘だった会計。息がつまるほど長く感じた1時間。

その人はプライドが高くて、見栄っ張りで、万人が好きなものを「自分も好き」というのを執拗に嫌がった。結局割と万人受けする大学に進学したと、人づてに聞いた。今は何をしているかは、かけらも知らないし、調べようと思ったこともない。

でも、吐き気がするほど女々しい形で残された「俺を忘れないで」というメッセージは、とても明確に私の中に刻まれている。そこまでして、人の記憶に残り続けることが幸福なのか不幸なのかは、私が決めることではないけれど。「秒速を見せて感想を求めてきた先輩」という名前がついて、私のなかに保存されていることは間違いない。

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