もう耳をすませばでときめけない
どうも志賀です。
金曜ロードショーで耳をすませばを見ながらこの記事を書いています。
この記事はとりとめのない日記だよ!
耳をすませばという作品は、初めて私がときめいた恋愛作品で。それまで少女漫画とかテレビドラマには苦手意識があった小学校高学年くらいの私に、「恋愛の物語もいいなあ」と思わせた作品でした。
でももうだめだった。見られなくなってた~~~。
確かに「きゅん」要素はまだ残っているかもしれないのだけれど、学校の異性愛至上主義と性別二元論具合がもう無理で。異性とみれば恋愛、みたいな世界観、恋愛をすれば「やっと大人に…」とからかわれる世界、異性が自分のクラスに呼びにくれば大声でひやかされ、屋上で話せばやじうまが集まる世界、控えめに言って地獄だなと思いました。
「男の子って~」とかの性別に当てはめたセリフも多すぎる。男と女という枠で恋愛が推し進められる世界観、こういう物語も自分がセクシュアリティ(よくわからないけど戸籍上同性が好き)を自覚し始めたときの足かせになっていたんだなあと、この年齢になって気づく。
ということをわざわざnoteに書くのは理由があって。
りゅうちぇるとぺこちゃんのかぞくが、法律婚の「夫婦」をやめて新しいかぞくになるという発表に対して外野がいろいろいってるのがうるせ~~となっているからだったりします。
この発表には正直最初「へえ~」以上のリアクションはなく。もちろん本人からしたら勇気のいる発表だったのは想像できるのだけれど、私はこのかぞくのことも、個人の芸能人としてもお2人が好きだったので、2人の決断にはそうなのねという感想しかなったのです。
が、ネット上には「離婚」の一言に支配された憶測や、りゅうちぇるのセクシュアリティに関する憶測に断言、リンクの育成に対しての決めつけ等あることないことで大盛り上がり…ということでまあ、「耳をすませば」の外野たちと変わんねえな世間~~~ みたいな気持ちになっておりますのです。
・結婚とか離婚とかがわざわざニュースになること
・個人のかぞくの在り方に外野が口出しすること
・他者のセクシュアリティについて他者が憶測を語ること
・書かれていることを読解できなかったり、書かれていないことを勝手に読み取る人間たちがいること
とにかくぜ~~~んぶ嫌だ。困った世の中だ。
でも自分にも言葉しか武器がないからとりあえず吐き出すのです、という感じ。
とりあえず↑全部ナンセンス出し無駄だと思うので、いいね👍以外のリアクションはあったらいけないと思っています。まじで。
というか少なくともりゅうちぇるの葛藤についてはすごく想像と共感ができる(全然違うかもしれないけど)。
りゅうちぇるはりゅうちぇるとしてぺこちゃんが好きで、りんくの親だったのに世間が「よき夫」とか「父親」像をぐいぐい押し付けてしまったんだろうなあと。
そんな話「母親」界隈ではしょっちゅう見かけるのに、「男だからおりられた」とかミサンドリーの餌食になっているのもとっても不快でした。
わたしも「妻」にも「母親」にもなりたくないと思っているのでめちゃくちゃ共感できたけどなあ…。
そしてそういったラベルが「快」か「不快」かはそれこそ個人差なので、個人が自ら着脱可能な世の中になったらいいだけの話じゃないか、と思いました。
害ある他者に負けずおふたりは、おふたりの子どもと、新しく家族になったアリソンと素敵なお家をこれからも作っていってくれたら、それを見られたらわたしはハッピーです。し、勇気あるふたりをみならって私もいきていきたいなあと改めて思いました。
という筆慣らしの日記で。
みんな、肩書きや枠組みにとらわれずに自由に生きようね。
わたしはそうしたいし、できるだけそうしてみようと思います。
りゅうちぇるとぺこちゃんの発表に敬意をはらって。