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五条悟の今後についてをキャラクターモチーフから考察

この記事は呪術廻戦237話までの重大なネタバレを含むので未読の方はブラウザバックをお勧めします。




〜以下ネタバレ注意〜





はじめに


皆さんは、五条悟が復活すると聞いて信じられるだろうか?多くの呪術廻戦読者の方々は、そんな白ける展開を芥見先生が書くわけがないと思っていたりするかもしれないし、かたや推しキャラが復活してくれるのならば万々歳だと思っている層もいるかもしれない。
かく言う私は、五条悟は必ず復活すると考えている。しかし、今のような最強先生という形で君臨することはないと判断している。その理由を五条悟のキャラクターモチーフの側面から考察していく。




1  五条悟のモチーフは釈迦である


仏教の開祖釈迦と五条悟の間には複数の共通点があり、かなりの数の考察者がこの考えを信奉しており、私もこの説が最も有力だと思っている。
共通点を挙げていくと…

① 「天上天下唯我独尊」というセリフ
② 236話が釈迦の出家を彷彿とさせる内容(四門出遊)
③ 悟という名前が仏教の悟りと一致する

というようにいくつか似た点があることがわかる。また、メタ的に見て芥見先生はBLEACHやHUNTER X HUNTERなど既出の作品からインスピレーションを得ている点が多く、その点から見ても芥見先生が五条悟を古典に出てくる人物、釈迦のオマージュとして登場させているという考えはそこまで突飛なものではないと言えるのではないだろうか。



2  五条悟と釈迦の人生の比較


さて、前章の内容を踏まえて前提として考えたいと私が判断していることについて話す。それは、五条悟は元から最強ではないということだ。
確かに、才能の抱き合わせとしてのポテンシャルは持ってはいたが、正しくは伏黒甚爾戦を経てようやく最強として君臨するに至った。五条悟は生まれた時から最強ではないという事実は実はキャラ考察の上で重要な意味を持っている。
具体的に言及すれば、

五条が「天上天下唯我独尊」とつぶやいたタイミング

が大切と私は考えている(この瞬間彼は最強に成った)。それを念頭に置いた上で、下の画像を見て欲しい

釈迦の一生

この画像は釈迦の一生について図にしたものだが、ここで重要な点が3つある。

①    「天上天下唯我独尊」は釈迦が誕生時に放った言葉。
②    釈迦は王族に生まれ、欲しいものは全て手に入る恵まれた環境に置かれた人物だった。
③    彼が悟りを開き、仏教の開祖になった時に王族である地位などは全て捨てている。

これを踏まえて五条悟の一生を重ねたのが下の画像だ。

何か見えてこないだろうか?
そう。一つ目に、最強先生としての五条悟の誕生は伏黒甚爾戦で生まれた存在なのだ。その後の宿儺戦までの五条悟像は六眼+無下限という類稀なる才能の抱き合わせに、呪力の核心への到達によって、常に最強の術師として描かれた。これは釈迦の、王族として何不自由ない生活を謳歌できる立場にあったことと共通している(五条悟も五条家という名門に生まれている)。いわば、両者とも親ガチャに成功しているのである()

次に、宿儺敗北後の五条悟。これも釈迦と同じである。敗北し、最強の術師でなくなった五条悟と自ら地位を捨て、王族ではなくなった釈迦。形は違えど同じ何も持っていない状態になっている。このあと釈迦は悟りを開き、仏教の開祖となるが、五条悟はまだその段階には至っていない。その悟りを得る前の状態が、空港にいる五条悟だと私は見ている。その前提に立つと、北へ行くという事が意味するのは五条悟が最強である自分を捨てて生きるということと捉えられる。

この考察が正しければ、五条悟は王族でなくなった釈迦のように新たな意味を持つ人間として生まれ変わるはずである。



3  呪術廻戦における五条悟の存在意義


五条悟が物語における釈迦として君臨するメタ的な理由がもう二つあると私は考える。

一つ目が、夏油傑の言葉「君は五条悟だから最強なのか?最強だから五条悟なのか?」に対するアンサーとしての存在になるためである。宿儺敗北前の五条は明らかに後者の「最強だから五条悟」(一人の人間としての五条悟は高専時代で終わってしまっている)という描かれ方をしているが、復活後の五条は夏油の言葉に対するアンサーとして前者を体現した存在になると私は見ている。このことは具体的に次の章で述べようと思う。

次に、宿儺と五条の対比構造である。
忌子から最強に成った宿儺。
生まれた時から恵まれ、実質的な最強ではあり、伏黒甚爾戦を経て本物の最強に成った五条。

宿儺は最強であることだけが作中での存在意義として描かれているが、五条が敗北してなお新しい価値を作品内で創造できる存在になるとすれば、宿儺と五条が完璧な対照構造に昇華されると言えるのではないだろうか。



4  復活後の五条悟像


さて、いよいよ最後の章になるが、ここでは五条が復活してからどのようなキャラクターとして確立されるか考えていく。

ここで考察に用いる点をまずは複数挙げる。

①   九十九の呪力からの完全脱却というプラン。
②   家入、乙骨の反転術式。
③    学長の残した完全自立型呪骸

僕の考えでは、人間として復活するパターンと呪骸として蘇るパターンがあると考えているが、後者は正直結構ありがちな考察だと思うのでここでは割愛する。また、前者と後者の違いは本当に復活を人間としてするかどうかなので根幹の部分は同じであると思って欲しい。

それでは説明に入る。
これまで述べたように、ポイントは全てを捨てた五条が新たな意味を獲得するという点にある。

僕はそれが

呪力からの完全脱却を果たした人間になること

であると見ている。

これは誤解を恐れずにいうと、世界から呪霊が消えるENDに呪術廻戦がなるために必要な、呪力の全くないフィジギフ以外の初めての人間になるんじゃないかなと思っている。

その呪力脱却の方法を五条が家入、乙骨の反転術式もあって死に際で発見し、釈迦と同じように全世界の呪術師、一般人に高専メンバーを通して広め、布教していく。そういうキャラクターとして五条悟がもう一度成り立たせられていくんじゃなかろうか。


おわりに


どうだろう?ここまで色々五条=釈迦と見る考察について力説してみたが、楽しんでもらえただろうか。4章の内容はほとんど妄想に近いものになってしまったので、その部分は話半分で読んでいただけると嬉しい(笑)。


この考察が面白かったよー、ここはちょっと微妙では?と思う点があれば意見、コメントお待ちしてます!

最後に、少しでも良かったなと感じた方はスキ!を押していただけると今後の励みになるので押していってくれると嬉しいです。それではまた〜!


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