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カナガワの鱒釣り

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ブローティガンの『アメリカの鱒釣り』の翻訳っぽい文体で思い出を語る遊び場。
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記事一覧

スペランカー・ある探検家の手記 『カナガワの鱒釣り』15

 これはスミソニアン博物館に保管されている洞窟探検家の手記である。彼の単独洞窟探検の報告…

モジゃもん
9か月前
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ムテキングとスパイダーマン 『カナガワの鱒釣り』14

 80年代うまれの友人について。朝、僕たちが眼を覚ますころ、父や兄たちはもう出かけていた。…

モジゃもん
9か月前
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コンビニエンス 『カナガワの鱒釣り』13

 あまりにも、あまりにも可愛らしいあまりに、毎日タバコを買ってしまうようなコンビニ娘のレ…

モジゃもん
10か月前
4

ツーコン・マイク 『カナガワの鱒釣り』12

 いよいよ老いさらばえた、相棒よ。つうこんのいちげきとは、長らくおまえの名前にちなんだも…

モジゃもん
10か月前
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ミニ四駆・ジャパンカップ 『カナガワの鱒釣り』11

 スタートの瞬間にリヤステーを中指で弾くように押しだす技術は兄が考案した。ジャパンカップ…

モジゃもん
10か月前
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墨田区八広の大黒湯 『カナガワの鱒釣り』10

 墨田区八広の大黒湯はおばあちゃんちのすぐ近く、風情だなんて、それで当然だった。  チン…

モジゃもん
10か月前
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横浜夢の国 『カナガワの鱒釣り』9

 かつて夢の国は戸塚にあった。戸塚にあるのに横浜と冠されたのは、千葉にあるのに東京と冠されたのと同じ都合だ。  80年代うまれの横浜人たちは夢の国にお招きされたものだ。車と、家族と、友達と、ご一緒にお招きされて、渋滞を抜けて、丘陵を上がるとゲートの前に、バッキンガムの衛兵が立っていた。衛兵は日に何千人もお招きした。  1991年3月の春休み、僕はクラスのなかよし三人組にさそわれて、四人で夢の国へいった。夏にゆけばコースターや潜水艦に乗ったし、冬にゆけば映画もスケートも楽し

ハヤトの芝生のオオカマキリ 『カナガワの鱒釣り』7

 ある夏の終わり、僕は高架橋をこえて、新幹線の向こう側の畑に沿って歩いていた。更に畑の向…

モジゃもん
10か月前
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運動会 『カナガワの鱒釣り』8

 青々とした空に白い舟が浮かんでいた。眺めていると、じんわりと輪郭をくずして、雲は次第に…

モジゃもん
10か月前
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PCエンジンDuoかメガCDか 『カナガワの鱒釣り』6

 平成はミニ四駆のハイパーダッシュモーターのスピードで、ゲーム好きと、金曜よる7時のドラ…

モジゃもん
10か月前
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ビックリマン・シール 『カナガワの鱒釣り』5

 大体のシールが揃っていて、僕の持っていないヘッドはもちろん、見たことのないものですら、…

モジゃもん
10か月前
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ラーメン屋 『カナガワの鱒釣り』4

 そのラーメン屋に初めていったとき、ラーメンにはほうれん草ひとつかみ、ネギ少々、もやし少…

モジゃもん
10か月前
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砂糖水とパン 『カナガワの鱒釣り』3

 まだ朝食について考えなしのころ、朝寝坊のために同じものばかりを食べている時分があった。…

モジゃもん
10か月前

休憩時間 『カナガワの鱒釣り』2

 15年も経てば時代が一つ終わり、僕は休憩室のパイプイスに座っていた。今じゃすっかり人の出入りも多くなった駅ビルの改築工事だった。現場監督のつまらない檄が飛び、つまらない規則が休憩室に貼り出されている。  現場ではヘルメットを着用  挨拶の徹底  僕らの80年代はいくつも過ぎ去った。たくさんの新発売も。いま僕の目の前を、おっさんが新発売にお湯を入れて、つまらない規則の前に腰掛けようとしている。また新発売が過ぎ去ろうとしている。僕はなるべく早く家に帰り、新発売のゲームをし