ちょうど20年前くらいの話。

少し特殊な環境で思春期を過ごした。

中高一貫の全寮制で、娯楽品は一切持ち込み禁止だった。

月曜日の登校時には持ち物検査があり、娯楽品と思われる類のものは全て没収された。それは漫画であったり音楽プレーヤーであったり、はたまた毛抜きでもあった。

朝6時に起床し、点呼をとって体操、ランニングをしてから朝食。

6時間か7時間みっちり授業があり、放課後は部活に入るも入らないも自由だった。早めの夕食をとり、夜は3時間の授業があった。

そのあと、かるい夜食をとり、入浴し点呼をとり就寝。

ここまでみっちりとつまったタイムスケジュールをこなしていたが、若さゆえか、毎日とても元気だった。

そして娯楽に飢えていた。

ここには、テレビもラジオも音楽さえもないのだ。


月に一度、お楽しみ会と称して夜の授業の時間が映画鑑賞会になった。

その日当番だった体育教師が、ツタヤに行って適当に選んできたものだった。(今思えば上映権とかどうなってたんだろう、限りなく黒に近いグレーだ)

先生により作品チョイスの傾向は顕著で、生徒には恋愛禁止と言って男子と話しているだけで注意してくる先生が選んだのが『恋人までの距離』とかで憤りを感じた。

月に一度の映画に夢中になった。映画鑑賞会の日が楽しみだった。

『タイタニック』は劇場でも観ていたけれど後編を観るのに次の月まで待たなくてはならないのが辛かった。

そこまで娯楽が排除され、何もない中、唯一許されていたのは活字の本だった。文字で構成されている本であれば持ち込みOKだった。

持って行ったことはないけれど、カバーしておけば官能小説でも大丈夫だっただろう。

本の世界に夢中になった。

友だちもみんなそうだった。この本がおもしろかったよ、読み終わったからどうぞ、みんなそれぞれ好きな作家がいたので、いろいろな本が読めた。


そのとき同じ部屋だった子が、こう言っていた。

「本ってすごいよね、その人の考えが書いてあるんだよ、人の頭の中が読めるのってすごいよね」

江國香織も山田詠美も、その子から教わった。


私は映画の美術デザインを生業としているので、映画をプロット、脚本から読んで監督の頭の中にあるものを具現化する仕事をしている。

映画も、人の頭の中を読み解くヒントがある。

ひとの考えなんて自分にはわからない。

でも、想像することはできる。

ほかのひとの、頭の中。

何を考えているのか。

そういうのがおもしろくてこの仕事をしているんじゃないだろうか。

ってときどき思う。

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