タイムマシーンはいらない
『嫌韓の構造』に書かれてる、内田樹さんが嫌韓をぶちまけている人たちに抱いている「怖い」は、
巷にあふれる人たちに、抱いてる、私の「恐怖」と、根源的には、同じである。
同じ対象でも、視座を変えると、解釈も変わる。
天才と呼ばれる人も、視座を変えると、発達障害の仲間入りである。
加点方式だと、天才、減点方式だと、発達障害、に分類される、池谷裕二&中村うさぎさんの協書に、『脳はみんな病んでいる』がある。
その本で、大多数の人たちを、シマウマ、
池谷・うさぎさんのような極少数派を、
ワシ、と例えていた。
確か、「反脆弱性――不確実な世界を生き延びる唯一の考え方」という、本に書かれていたと思うが、
『心理学者は心的外傷後成長を無視し、心的外傷後障害ばかりに目を向けている』
という、ナシーム・ニコラス・タレブさんの金言を、敷衍させると、
『シマウマ人間(月並みの者)は、ワシ人間(異端な者)の長所を無視し、短所にばかり目を向けている』
と言ったところか。
実に、嘆かわしいし、実に、もったいない。
成熟した者は、他者は意図で、自己は結果で評価する。
成熟しようともがく者は、成熟した者に憧れ、その実践を目指す。
月並みの者は、自己は意図で、他者は結果で直裁する。
月並みの者は、裏切られたと思い、嘆け悲しみ、相手を恨む。
相手に期待したのは、自己であり、その判断をくだしたのも、自己である。自己が抱いたイメージと、違った、だけのこと。
成熟の素養がある者は、自己を責め、内省し、次に活かす、失敗をガソリンにした、成熟のエンジンが備わっている。
振り返って、離婚を経験し、仕事の先行きも不明瞭、心身ともに混沌とした、社会的にどん底の狭間にいた過去、行きつけのバーでの出来事。
「もじゃさ、タイムマシーンがあっても、過去にもどりたくないだろ?」
と、カウンター越しにたつ、10個上の人生の先輩。
「はい」
間髪入れず、応える僕。
「おれもや」
タイムマシーンが、あっても、過去に戻りたくない、核心、それは、
心的外傷後成長が(大小の差こそあれ)悟りを、体得させる、
それが、なによりも、自分の肥やしになり、血肉になり、度量をおっきくさせると、ア•プリオリ的に、確信しているからである。
愛情が溢れすぎ、原始的な愛が注がれる営みは、心的外傷から闇雲に守る試みに帰結し、意図と結果が逆転する、人格育成の本義と、逆行する理路を辿る羽目となる。
人格の形成に、愛情は、絶対に、何よりも、不可欠なのは、絶対に、言うまでもないが、剥き出しの、プリマティプな愛情が、かえって、人格の形成を妨げている。
どんなに成熟の素養があろうと、上質な経験という養分なくして、成熟の種の萌芽はありえない。
もっとも、上質の経験だったなと、過去を振り返って思える期間の一つを挙げるなら、離婚し社会的にどん底だった期間、なのである。
懸命に試みた結果の挫折は、大人の階段を登る、絶好の機会である。
懸命に試みて生きている人にとって、タイムマシーンは、不要であり、
今死んでも、後悔しない、生き様に、繋がる、道程である。
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