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生きる力

最近の私は陽の下で何かをしている事が多い。
次々と芽をだす雑草を抜いて回り、必要な除草剤や土を買いに出かける事も時々ある。

庭のことを考える機会が増えたせいもあるだろうが、キッチンでは切り落とした野菜の一部・・・グリーンオニオンの根っこ付近、とか、ニンジンの頭のところとかを小皿に入れ、水をやっている。

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庭仕事が進んで野菜畑(といっても簡単なものだが)の準備が出来たら植えてみようかなぁという目論みからである。
どれも数日すると小さな緑の葉をだしてくるのが、なんとなくいじらしく可愛らしい。(畑に植えて収穫できるかどうかは知らないが。)雑草の芽は憎らしいのにこちらには「可愛らしい」と感じるとは、人間とは限りなく自分勝手で傲慢だ。

その切り落とした野菜くずのなかに「ダイコン」もあるのだが、こちらもニンジン同様順調に葉をのばしていた。・・・と思ったら、先日小さな白い花を咲かせていた。生命力だな!と、少し感動した。

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世界中で人間がどんな風に活動を変えようが未曾有の事態だと騒ごうが、季節はちゃんと巡ってくる。
そして、細胞にプログラムされているとはいえ、少しの水を使ってでも成長し子孫を残そうとする植物たちもそこにある。

ダイコンの花は愛でられることを望んでいない。いや、蜂などに気付いてもらうことを愛でる、と表現するならそうだが、それは結果として付いてくることであって目的ではない。目的は「細胞にプログラムされた明日に近づく」だ。生きのびる、が目的ともいえるかもしれない。
生命力、と感じた理由を言葉にすれば、こんな感じかな。

だとすれば。
生命力とは明日という希望を持つことが出来る力、そしてその希望を信じて一歩進んでいける力かもしれない。
あるいは・・・ その希望を見出す力も、そうなのかなぁ。


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