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今取り戻したいのは、ちょっとだけの非日常。

「飲みに行く」という行動がもうめっちゃくちゃ懐かしい。
567禍ってのもあって、憚られる行動ではあるんだけど。

母の日だから、と手作りカードを娘がくれた。
もう少しでお酒が飲める年令になるから「お父さんが寝たあとに一緒にお酒が飲めるね」と書いてあっった。

そこを読んだとき、バーに足を運ぶ高揚感、お酒というものを楽しむ静かな場とか、逆に沢山のお客さんと活気でお酒の味なんてあんまりわからなくなる居酒屋とか、なんだったらお酒の香りもしなくなりそうな美味しい煙の匂いでいっぱいの焼き鳥屋とか、そういうところに行きたい!娘に言葉じゃなく あの独特なものを感じさせてあげたい!と思ったんだ。

いや、同じものは受け取りはしないだろうけど、娘のしらない世界の入り口にはなるから。


食事をしにいく、とか

飲みに行く、とか

そこには確かに小さな非日常があって、誰かと過ごした記憶があって、
それがなくなっている今、人間ってああいった「日常と非日常が塩梅良く混ざった場所」で心を逃したり記憶の中にスナップ写真をピン留めするみたいなことを繰り返してきたんだなぁと思う。

インスタのためのご飯やお酒の写真をとっても デジタルの記憶はすごく薄い。だけど焼き鳥屋で染み付いて、帰宅してすぐ洗濯機をまわした記憶は今も芳しい。


人間って、そういう泥臭いような、あるいは何でもなさそうなものを沢山積み重ねた上に生きてるのかもなぁ。


ああ、飲みに行きたいなぁ。



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