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大事にするもの

姉妹でのLINEグループがあるのだが、良いこと悪いこと、姉妹にしか言えないこと家族内の連絡など、本当にいろんなことに関してぽんぽん、とテキストが並んでいく。

本当に幸運なのだろうと思う、姉妹がある程度仲良しでいられるというのは。そりゃ、立場としての距離が近いだけにお互い腹立たしく思う事もあるのだと思う。私なんて物理的にそうそう動けないところにいるから、「あの子はいつも自分でやれないくせに」って思われているんだろうな、思わせてしまってるんだろうなと思うことも沢山ある。あるけど、「姉妹だからそういう気持ちも適当にそのへんに置いて、そのうち忘れてくれるかも」という甘えもある。そして多分そうなのだ。

家族の形って言うのは本当に家族の数だけそれぞれでいろいろで、どれが正解っていうものではない。
ただ自分たちが、「お互いをある程度許せている」「お互いを いざというときに頼れると知っている」「お互いに妬み嫉みがほぼほぼない」という姉妹でいられることは、本当に幸運で奇蹟だとしかいいようがない。

もちろん、小さな頃はいつも仲がよかったわけじゃない。双子の姉達にとって私は面倒くさくてうざったい「味噌っかすにして当然」な存在だっただろうし、姉達が好きだったのに近寄らせてもらえなかった私は、その姉達に可愛がられていた妹を憎たらしく思った。妹からしたらいつも意地悪するすぐ上の姉(私)は きっとどこかに行ってしまえ、くらいに思うことも多かったはず。

子供時代の、あの捻れるような気持ちとか子供特有の意地悪さとか。でもお互いが結局大好きだとか。お互い意地悪するのにお互いで甘える。複雑でそれらのばらばらな感情をつなぐのは「姉妹だ」という認識だけ。
恐らく基本が「好き」という気持ちから始まっているから、子供時代の兄弟姉妹っていろんな部分でややこしく、なかなかイイ所に着地するのが難しいのかもしれない。

私達がお互いを受け入れ始めたのは、それぞれがそれぞれの人生、というものが見え始めたくらいだろうか。それぞれの試練の時期、というか。
姉妹同士がすこしずつ物理的距離ができて、そうなると時々会えることが本当に嬉しくなって、捻れた気持ちは「子供だったからなんだな」と、自分を、そして互いを許せるようになった。
それぞれが自立して、それぞれの立場でお互いを助けられる自分でいることを目指せたのも大きいのだろう。そのどの状態もどの条件も、本当に奇蹟みたいな積み重ねだと今はわかる。

叔父の訃報が届いた。
そのことが姉妹LINEに流れて、それぞれの短い言葉の中にも 共有している、あるいは新たに共有しようとしている思い出や気持ちが溢れる。

父には2人の弟がいて、父のすぐ下の弟だった私達の叔父は今の私達くらいの年齢で病気で逝った。あの時も父はかなりがっくりしていたが、今一番下の弟の訃報でまた、がっくりとしていないだろうか。

そう思ったとき、「ああ、私達もお互いのことに心の準備が必要になった年齢なんだ」と改めて気付く。死はいつだってそれぞれの背中にへばりついていると知っているのに、身近な姉妹はいつまでも元気だと何故か思い込んでいた。

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極めて個人的な意見満載。毒を吐くほうではないですが、時々は正直になります。 気付いたらアメリカの田舎暮らしが長くなったので、その実際のところの話なども。

たなかともこの「自分の意見が強過ぎるなぁ」とか、「誰でも読める所に置くのは違うなぁ」というもの、外に出すほどでもないごく個人的なことが入っ…

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