世界は変わって行くもの

アメリカも日本もガソリン車をなくす方針が出されたけど、続いてEUも。

#日経COMEMO #NIKKEI

・・・というEV(電気自動車)への動きを書きたいんじゃないんです、今日は。

特に新型コロナウイルスによるパンデミックで、世界中のひとのくらし方や行動の仕方が急ブレーキ・大きく方向転換、というところを通っている。あまりに急激な変化にストレスを感じたり行き詰まったりと、心に「怒り」を抱えた人が多い気がするのは私だけじゃないだろう。

ここで「でも」とかいうと絶対あちこちから怒られるけど、敢えて言う。
でもね、私達はいつだって時代に急かされて変化せざるを得なくて前に進んでる。変化しないこと、安定したままを望むのは人間みんなそうだけど、そうもいかないのだ。

いつだって周りをみながら 変化の波 に置いてけぼりを喰らわないよう先手を打つ人(実際は全然先手じゃないとも言えるのかもしれない、多くの人が必要性に気付くって時は大体すでに時代に置いていかれ気味なのだ)、そのリスクを取れるひとだけがなんとか波を乗りこなす。


実際石炭・石油の時代が終わるだろう事は私が子供の頃から言われてた。いや、当時だって石炭なんて殆ど最前線からは脱落してしまっていたと言ってもいい。
それを思い出して、今の石油産油国の抗いとか、見ていて切ない。ガソリンって確かに石油の売り上げに直結する大きな要素だけど、実際は便利な石油製品の代替物がまだ追いつかないから方向の変え方によってはいろんな道がありそうだけれどなぁと思うんだが。

地下資源は掘れば莫大なお金が儲かった時代がある。
多分「地球を削って稼ぐ」こと自体がもう 時代に置いていかれているんだろう。良くも悪くも「手っ取り早いお金」以上に持続性を見る時代になってきているんだろう。

数ヶ月前にオットとルート66を経由したドライブ旅行(ロードトリップ)をした。穀倉地帯としても有名なネブラスカ・カンザス・オクラホマ州を通ったが、走っているだけでそのエリアが沢山の時代の波を越えてきたのがわかった。
土地は肥沃なのだ。だが、灌漑できるか。強すぎる風が起こす被害を越えられるか。農業に恵をもたらし根幹ともなる自然が、いつだって変化し続けるから人間は翻弄され続ける。時に大きな爪痕をその地域に残して。

旅の途中はその地域に、歩いた場所に関わりのある映画をストリーミングで必ず観ていたんだけど(単に夕食後の時間が会話だけでは持たない夫婦w)題名を忘れてしまったがオクラホマ州が酷い風と乾燥で沢山のひとが農業を続けられなくなったときの話があった。土地も取られ、お金も仕事もないから仕事を求めて家族でカリフォルニアを目指した家族。だけど厳しい道中で家族が次々に亡くなり、到着したカリフォルニアでは田舎者と差別され、やっとありついた仕事は安い労働力として足許をみられた賃金しか貰えなくて契約違反を訴えても追い出されるだけ。そんな中でどうしようもなく殺人を犯してしまった主人公。

生きていく術のあちこちを塞がれた人間のことが描かれてた。
「オクラホマから来た」というのが蔑称だった。
「土地から生み出す」ことが出来なくなったときの変化についていけなかっった人達。頑なだったわけじゃなく、信じていただけなんだけど。
悪い人達じゃない。ただ選んだリスクが違ったんだ。

その人達に「自分で稼ぐ」のを諦めない気持ちがあったら。
時代の変化に「変化を自ら起こす」というリスクがとれていたら。

あの映画を観ていて感じたことと同じ様なことを、今の古代エネルギーvs再生可能エネルギーまわりのことに対して最近よく感じている。

昔からのものが悪いわけではない。ただ、変化が起きただけだ。
その変化をどう捉えるか。どのリスクを取るか。
それは人それぞれだけど、同時に生き延びる野生の勘も常に試されている気がする。

変わるのは怖い。だけどそれを突きつけられたときってきっとチャンスなんだと思うんだ。

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ヘッダー画像はみんなのフォトギャラリーより、HanaKokoroさんの作品をお借りしました。(ドイツにいらっしゃるんですね!)

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