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延長高校生 〜【#選択のあとに】企画始まりました〜

本日から28日まで受付の、【分岐点話〜選択の後で】の概要は目次から飛んで下さい。ルールの小さな変更あります。

この個人企画を始めるきっかけになったエッセイは約1500字です。

延長高校生

高校時代を最高に謳歌していた私は、まぁ当たり前のように高校4年生に突入した。留年ではなく、4年生進級。
その学校(予備校)には東大理III狙いという「もう宇宙人でしょ」という人達もいれば、私みたいな「高校で全く勉強してないのに本気で医学部とか言っちゃってんの?」というひとまでいたが、とにかく全員医学部希望。かなりオカシイ世界だった。

そんなオカシイ生徒たちを指導する先生たちはそれこそその予備校名物講師陣。授業のある日にはスープラで乗り付ける物理の山本先生や、お名前を失念してしまったが生徒には「あなたたちの年令でスタンダールの赤と黒くらい読まなくてどうするの!」と、いつのまにか文学講義を始めている英語講師、他にもとても分かり易く面白い授業を世の中の現象とともに解説する化学の先生とか、授業をみているだけで「数学の美しさ」が黒板からこぼれてきそうな先生とか・・・
なにより、「普通であること」ってなんだっけ、を根本から考えさせるような先生方だった。その先生たちの経歴と生き方、出会ってきた人たちの話がぽろぽろっと聞こえてくるとき、「そこでそういう信念で動くんだ!」と興味深く思ったりその情熱に打たれたり。


私の高校4年生の授業のメインは「問題の解き方」ではなかった。延長高校生でいたときは「一般常識を是とするのは根拠があるのか」「それ以外は否定されるべきなのか」ということ、ひいては「学歴」「肩書き」というものをゆっくりゆっくり考える時間を、私の人生で最初にくれたと思っている。

Yさんは予備校裏手の八幡様の緑を背景に、2階のテラスでタバコを吸う「オッサン組」のなかの「年齢不詳、リーダーじゃないけど風貌が目立つ存在」だった。当時4浪?あたりだったと思うのだけれど、その割には見た目が30前後と言われても信じてしまいそうな人で、講師の一人、といわれたら誰も疑わない感じだった。昔社会人をやってたとかやってなかったとか、そんなウワサもさもありなん、という風貌。冷房のキツい校舎から出て「暖をとる」私達はこのオッサン組と他愛ない話をするようになった。

出身はたしか千葉だったか。ご自宅から通っていたと思うが、そんなYさんに真面目な顔でいわれたことがある。

「リズムとかさ、メリハリって大事だから。ちゃんと授業出たほうがいいよ。試験前は特に。」

Yさんこそ、と混ぜっ返すと苦笑いして言った。

「そうなんだよ、だからこんなにここに居るんだよなぁ、俺」

したほうがいい、と、する、と、やれる。それらの状態の間には薄くて重いガラスの扉がある。どれだけの力で何度それらの扉を開け続けるかが結果につながるのだろう。そこに通う殆どの人がちゃんとそれを知っている。

でもその扉を開け続けられなくなるのは心の筋力だけのことじゃない。そして心の筋力がないからダメなひとというわけでも、全くない。

そのうちYさんは予備校にあまり顔を出さなくなった。

多くの人が基本的に自分の勉強スタイルを既に確立しているから、そのうち来なくなってしまうひとというのも現れるが、今思うと、Yさんは鬱状態だったのかもしれない。予備校仲間にはそういう人は少なくない。

「挑戦続けてると、分からなくなることも多いんだ」

Yさんのタバコ友達のSさんが言っていた。そういえば、Yさんがなぜ医学部を目指してるのかとか、本当は何歳なのかとか、全く知らなかった。知らなかったが、ちょっとやそっとじゃ理解出来るものじゃないんだろうな、ということは分かった。

高校4年生で出来た友達は、いろんなものを抱えていろんな気持ちを持って、悩みながら 一応「夢」と掲げたものに向かって歩いていた。
正解がないと分かっているから、選ぶのは自分だと理解しているから、だからこそ選択は楽ではなかった。

Sさんが時々連絡していたのだろう、またYさんは予備校に来るようになった。時々自習室で唸る私のところに来ては、解き方のヒントや途中の間違いを指さしていってくれたりした。相変わらず口数は少なく、でも一番わるい時期は越えたんだろう。相変わらず大きなペンだこをしていた。

その年Yさんが合格したかどうか実は良く覚えてない。あるいはYさんが医者になったかどうか私は知らない。
でも医者になっても医者をやってない私だって居る。「そうでなければならない」ことは実はほとんどないのかもしれない。

私は結局「高校5年生」までやる羽目になったが、延長高校生のときは人生で一番面白い人達に出会った時期だ。影響を受けたかどうかは別として、ひとって面白いなぁ、と心から思った。

見えないところでいろんなことを選んで生きている。選んで選択の責任をちゃんと取るつもりなのに正解かどうか分からなくなる。それでも私達は進む。Aを取る、Bを取る、今決めない、逃げる。全部選べる。

個人企画【分岐点話〜選択のあとで】への思い

今回の企画、「#選択のあとで」を考えた一番の理由は ここにも書いたが分岐点での選択を是とするためにしてきたその後の努力とか苦労とか」、実際に歩き出したあとのご自身のことを聞きたいからだ。

選ぶまでは自分のなかで優先順位や大切なコトを天秤にかけていく。大事なのはその先だ。一歩踏み出したところにもすぐに選択肢はある。進むか、止めて行き先を変えるか、戻るか。次の一歩にもちゃんと次がある。

山の中腹まで来て「あれ、思っていた所と違うピークに向かっているな」と思ったとき、そのまま行き着くピークをただ目指してみるのも分岐が分かるところまで戻るのも、ルートを取り直してもともと目指したところへ向かうのもあなた次第だ。正解はないから、誰もあなたを責めない。批判もしない。なんだったら「この開けているところが私の山頂だ」といって下山するのだって有りだ。

個人企画【分岐点話〜選択のあとに】について

この企画はそんなわけで、大小問わず分岐点のその先の話を教えて下さい、と言うものです。思いがけずβ版でもご参加が多そうなので(ご興味もってくださってありがとう!)詳細、少々変更あります。

【イベント概要と参加方法】
1)これまでの「選択」について、どんな選択だったか、その後努力したことがあるかについて、「#選択のあとに」or「#分岐点話」のタグをつけてnote記事をかいてください。
 〜形式は問いません。エッセイでも小説でも詩でもマンガでも。
 〜以前に書かれた記事の再掲でもOKです。タグ付けして頂いたら拾いに行きますが、拾われなかったらスミマセン、教えて下さい!(Twitterアカウントでも、クリエイターへのお問い合わせ機能でも。)
 〜参加は「1期間」お一人一投稿まででお願いします。
  もし次回の募集があれば、またご参加頂くのはもちろんOKです。

2)2週間に一度、受付期間内のタグ付けされたnoteをひとつ、ご紹介させて頂きます。出来たら公開インタビューで。

参加いただいたnote記事を2週間ごとにひとつ、ご紹介いたします。

3)コンテストではありません。アドバイスも応援もいたしません。

【参加期間】
各国時間で6月26日(金)〜6月28日(日)  
(記事上部の投稿時間がこの期間内ならエントリーとして受け付けます)

【最初のご紹介】
まずはタグがついたものをtwitter上でご紹介します。
マガジンに記事を集めさせて頂きます。


【細かい大事なルール】
人生の分岐点の後のおはなし、を対象としてインタビューさせて頂きます。
分岐点そのものについてはご本人の決定なのでアドバイスも批判も致しません。(そういう理由で、まだ渦中のお話はマガジンに入れますがインタビュー対象外とさせて頂きます。)


どうぞよろしくお願い致します。

サポート戴けるのはすっごくうれしいです。自分の「書くこと」を磨く励みにします。また、私からも他の素敵な作品へのサポートとして還元させてまいります。