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 そのひとの肌の上に髪や髭の細い線の途中に、ぷつぷつ、ぷつぷつと微小ななにかが泡立ってそのまま空気に溶け込んでいくのだ。彼の発する言葉ですら陽炎のような光を屈折させるひとかたまりとして浮き上がり、すこし上空で音を立てることもなくしゅん、と空気の中に霧散する。その微かな気配は空気をゆらりと揺らすけれど、瞬きするうちに何事もなかったように 少し前からあったままの空間となる。

 人間の輪郭が風景に馴染み溶け込むのを不思議な気持ちで見ていた。呼吸するようになにかをやりとりしているのだろうか、彼の輪郭は静かに細やかに震えて視えている。輪郭の線が淡い、とでもいえばいいのだろうか。それでもそれは存在が薄いとか命のエネルギーの光がぼんやりしているとかではない、むしろ対極だった。ほんのりと淡いその境目は、私が見たことのない柔らかで穏やかな熱を持っている。ただ、輪郭という線あるいは面ではない、緩やかな移行帯とでも呼びたいようないろをしていた。


 その人の輪郭がふっと細い線で縁取りされる瞬間もある。奥様と交わされる会話の最中にそれは時々現れた。つうぅっと極細のペンで輪郭が引かれると、二人の人間が 言葉やその周りの空気や共有している記憶というのを介してなにかをやりとりするのが視えているような気になって、私はびっくりしてぱしぱしと瞬きをした。

 また私は分かりにくい表現をしている。(と、その人なら書きそうだと思って書いてみる。)
 多分輪郭が縁取りされた感じがするときは「人の気配」がそのひとの中心からぶわっと拡がるときで、その気配が彼の輪郭をぱんっと張らせるのだろう。私との会話のときはそこまでないもので、家族の波長というものはこんな風に呼応しあうものなのかも、と、私は勝手に納得したのだ。
 そのときのご夫婦でやり取りされる言葉たちときたら。やはり陽炎のようにゆらりと浮き上がるのだけれど、そのまま相手の腕や顔のような肌のうえに引き寄せられ、一瞬そこで止まったのちにシャボン玉が消えるかのように霧散する。けれど消えたのではなく大事なものは気付かぬうちに相手に受け止められているのがよくわかる。視えていないけれど色と温度がゆるりと変わる。共鳴する波長というのは美しいなと感じる。

 そのひとは土と人間、ということをよく言葉にされていた。ご病気がわかったあとからは「共に在る」という感覚を言葉や表現を変え記されていた。この書き方が失礼にならないといいのだが、ご自宅であたたかく迎えてくださったその人に大樹のような方だなといきなり感じたのを覚えている。彼の見た目とはある意味かけ離れた自分の感じ方にこっそり面食らっていたのだが、だんだんわかってきた。輪郭を淡くさせる泡のようなものが、ゆっくりながれて周囲のものとやりとりし会話しているのだ。繋がっているのだ。ご自身の言葉のとおりきちんとその土地と繋がっていた、たとえ物理的に離れていても。目に見えない泡がぷつぷつ、ぷつぷつと揺れては、そのゆらぎがその土地の、木々や風や空気といったものと一緒に謳うように呼応している。

 あんなに自分をつくる細胞たちと、そして周囲の空気と、小さな小さなぷつぷつの共鳴する泡たちで当たり前に繋がる人を見たのは初めてかもしれない。だから私は彼の旅立ちを聞いて戸惑っているのかもしれない。寂しい、とも違う、悲しい、は全体の一割くらいだ。私の中にある感情を言葉にすると、ほとんどは混乱と戸惑いなのだ。

 あのお会いした時のイメージが、まだ私の中でこちらもぷつぷつと小さな音を立てて上がってきては消えている。音だけで、まだこれ、という言葉になって浮かんではこない。
 でもできる範囲で言葉にしたいと思った。今を逃したらあの不思議な感覚すら消えていきそうだ。

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極めて個人的な意見満載。毒を吐くほうではないですが、時々は正直になります。 気付いたらアメリカの田舎暮らしが長くなったので、その実際のところの話なども。

たなかともこの「自分の意見が強過ぎるなぁ」とか、「誰でも読める所に置くのは違うなぁ」というもの、外に出すほどでもないごく個人的なことが入っ…

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