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正しく恐れる・気が緩むタイミングではない

ちょうど日本でコロコロ事件(笑)が話題になり始めたころ、ちょっとその狂気的な反応に辟易して病気の本棚を書き始めました。

本意は「正しく恐れましょう」でした。パニックになって正しくない情報に踊らされないで欲しいし、かといって軽視してほしいわけでもないのです。今の日本からの空気は、いわば「中だるみ」、コロコロ話題に疲弊して、「でもなんとなく、他の国よりいいんじゃない?このまま収束するんじゃない?もう普段どおりの生活を始める準備してもいいんじゃない?」的な空気を感じます。
絶対はないけど医者として思う。

  まだ油断する時期じゃない。


1.要点:私達ができることは

2週間ほど前、イタリアから病院の約5分の1がCOVID-19感染患者で占められていて医療従事者の20%が感染し、死亡者も出ている、というデータが発表され、今度は医療資源(特に人工呼吸器)が足りないため、イタリアでは誰を救命するのかという難しい判断が現場でなされているという論文が出ました。 間違えないで欲しいのはこれはイタリアがひどいのではなく、世界とシェアするために、イタリアで命がけでこのデータを取り一流紙に論文として出している素晴らしい医師が居るということです。(リンク先を見てくだされば分かる人はわかる、これらの雑誌がどんな厳しい基準で論文を厳選しているかを。)

一般の私達が何も出来ない訳じゃ無くて自分の出来ることを知り粛々と行うことこそ大事なのです。変に怖がるのではなく、でも専門家任せでなく自分でも学び、今世界は本当に「一人一人の自覚を試されている」ということを知って欲しい。今も同じです。

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2.それぞれの立場で役割がある

山中教授が日本語のまとめサイトを立ち上げて下さったのは本当に嬉しい。
有名だから、ではなく、現在進行形で研究畑にいるひとは自分の公開データが後々どれほどの意味と責任を社会に持つかと言うことを知っているから。(そして、臨床の第一線のひとは忙しすぎてこのまとめは書けないだろう。)

聞いた訳じゃ無いけど、ノーベル賞受賞者(=超有名な人)として、また第一線の研究者として、医者として、山中先生のご自分の役割への覚悟が感じられる。

時の人となった神戸大感染症の岩田教授は、第一線だけど感染症内科医としての「世界的」視野から独特な発信を続けている。これとかも。

彼は自分の役割を知っている。だから沢山あちこちでケンカ(笑)をする。(彼は無駄に褒め称えられるのも好きじゃないが適当な付け刃理論で反論しようものならコテンパンに、それこそ何も残らないくらい焼け野原にする勢いでかかる人です、ご注意をw)そして社会に自分の考えを示して「アナタはどう思いますか」とたずねる。それこそが自分の役割と知っている。

そして前もかいたけど、私のオットはアメリカの集中治療医なのだが、彼もFBやツイッターで日常業務で翻弄される医療者のため 専門のまとめや知見をシェアしている。一つには本人の備忘録でもあるのだが、これらを読んで医療者としてどういう覚悟を持つのが必要か、とか、自分なりに考えているのは彼のフォロワーや私だけじゃないと思う。

他にもたくさん、「自分の役割」を自覚して冷静な記事を書いたり配信したりされている方達がいる。有名無名での判断ではなく、「冷静に対処を考えているかどうか」が一つのだいじな基準だと思っていて、センセーショナルな見出しを書き続けるひとを持ち上げるのは今はもうやめようよ、って個人的には思う。

それぞれの書き手に「自分の役割」がある。
だとするなら、今の時期の私は「臨床をやっている人より読み書きに時間を割ける」医者として書くのと同時に、「前線に毎朝出かける家族を送り出す身内」として書くこともあるだろう。というか、みんな言えないみたいだから私が書くのだ。

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3.最前線へ行く家族を持つ身として

今ここユタ州の確認された感染者は3/20現在68人(CDCの報告)。まだ少ないが、確実に増えている。先週は一桁だったはず。

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人事やマネージメントにも関わるオットは毎日11時間は病院にいて、くたくたになって帰ってくる。一言では言えないくらい「対策・準備」で大わらわらしい。週末だが今日も出勤。

昨日の夕飯時、我が家で笑い話が出た。病院の職員のなかに「自宅に帰らない」ひとが出てきたという話題。家庭内不和ではない、自分が感染源となって家族を死に追いやるのを防ぎたいというのだ。

ウチの空いている宿に寝泊まりして良いよ、とオットに言うと「オマエ達が行けばいいだろうがーー!」と文句を言われ、「冷静に考えて、一人が移動するのと3人が移動するのと、現実的なのは?」と子供に言われている。

親子4人で大笑いしたんだけれど、あの話は半分本気で出た話題だったと子供達は気付いているだろうか。

最重症者はどうしてもICU管理になる。オットは対岸の火事ではなく目の前に事態が迫ってきていることを感じている。
私は知らないフリをしているが、毎朝送り出すときもの凄く祈りながら言葉をかけている。「気をつけて」運転だけではない、あれもこれも。

私がこうやって日々いろんな覚悟をかためていくのをオットが分かっているかどうかは知らない。でも私は毎日オットが戦地に向かっているのを分かっている。もうすぐ「特攻の飛行機に乗れ」という見えない召集がかかるのだ。

「そんなの大丈夫だよー」と、外からは言われたくない。自分では繰り返して言っていても、その後ろには絶対はないという自覚がある。

今朝、気心のしれた友達とチャットしていて気付いた。私は前線の人間の家族として「泣き言を言ってはいけない」「仕事を止めて欲しいなんていってはイケナイ」と、自分を押さえ込んでいることを。もうすぐオットの目の前に死線がひかれる。

多くの医療関係者の家族は きっとみんな思っている。

戦場に家族が向かうのを喜ぶ人など居ない。本人も家族も仕方がない、誰かがやらねば、と思っている。最悪をも考えている。いま私が出来るのは彼の健康レベルを保つことのみ。

最後の砦だとわかっている。だがこの訓練された知識を持った人達が倒れたら代わりがいるか、というとそういうことでもない。昔、太平洋上の戦いで日本軍はベテランのパイロットを次々死なせていった。アメリカ始め他国ではパイロットの命を守ろうとした。失ったら替えがきかない技術や知識というものがある。次の人が育つまでもの凄く時間がかかるのだ。

それでも誰かがやらなければいけない。
アニメにあるが、宇宙戦艦ヤマトにのって戦うのはカッコ良いからじゃない。誰かがやらなければいけないからだ。

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4.現状を一般のひとから理解して欲しい

あくまで外側からしか私は見えていない。だが日本で内科医をしている姉と話して「ひどいなぁ」とは思った。あの、医者の怠惰ではないのです。聞いてほしいのだが、PCRのため「鼻にスワブ(おおきい綿棒)をいれ」たら咳やくしゃみ、出るのは必至。
何度も言うがマスクは「他者の持つウイルスから自分を防ぐ」わけではない。唾液くらいは止めるけど。一般外来でそれをやれ、って、「医療職は全部感染してOK」と言ってるのと一緒だ。全例検査しないなんてひどい、というひとに聞きたい、最後の砦であるスキルあるひとたちを先に殺したいのですか?

例え陽性になっても重症(熱ではない、呼吸が出来ないと言うレベルだ)でなければ自宅待機だ。薬はほとんど無い(全て「結果はわからないがやってみよう」で投与されている)。感染の有無を調べて何になる、医療者を危険にさらすだけだ。その議論は多くの人に届かない。

検査をしたら医療崩壊、この短い言葉だけがツイッターで流れ、いろんな人が怒っている。本当にみんなに基礎知識を学んで欲しいと思う理由だけれど、分からないことが多いウイルス、感染力が強く免疫状態によっては致死的なウイルスを前に「全例検査してウイルス保有の数を調べ、何パーセントが危険でどのくらいの人数だったら学校や職場を開放していいか知る」のはまだ先の段階だ。(やらないだろうけど、やるとしたら、だ)確実なのは「死亡率は下がる」ということ。当たり前だ、分母がおおきくなり分子が一緒の数字なら、分母が大きい方が確立は低い。病気が治っているわけではない。そして今その数字を調べることは全然大切ではない。

PCRという検査手法についても、ネット上で調べてみたら良い。感度の高さと精度はどちらも100%にはならない。生物学をすこし先まで知ったらわかることだ。病院にいって安全にすぐ分かる検査がないのかって、リトマス試験紙や妊娠検査じゃないんだから。(それらだって、知識と技術の蓄積でできたものだ)それに、どうして高価な検査なのか、もすぐわかることだ。

医者も全部がわかって対応しているわけではない。だから最善を尽くしている。分からない敵を前に、「重症でないひとたちは自己免疫でたたかってもらうしかない」これは世界共通だ。

山中先生のサイトは、一般のひとがすこしでもまとまった情報を受け取れるように、と作られている。但し書きに「個人の責任で」書いているとあるのは、未知のウイルスに「教科書的絶対」が言えるのは相当なデータと根拠が必要だからだ。(先に紹介した岩田先生も同じ所に言及している)はっきりしろと怒らないで欲しい。科学を扱う人は 断言することがどれだけ危険で自分の思考停止を招くかを知っている。

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5.新型ウイルスを前に 医療者の家族としてのお願い

どのひとも、思考停止にならないで欲しい。
また、無根拠に「なんだ、大丈夫じゃないの」なんて思わないで欲しい。

今が比較的静かなのはみんなの努力の結果だ。結果はいつも時間差をもって現れる。今まで学校を閉鎖したり、なんとか在宅ワークへ切り替えたりしてきた社会全体が作った「一時的勝利」だ。でも一時的なのだ


今は全ての人が試されている。

やれることはシンプル。手を洗う、咳エチケット、人混みに行かない。体調わるかったら自宅で休む。換気して、自分の体調を整える。そして情報を吟味する。


怖がりすぎるのは思考を止める。軽く見るのも思考停止だ。

シンガポールでは1/22のチャイニーズニューイヤーに感染の第一波があった。SARSで苦しめられた経験を生かし、皆で抵抗した。それが時間が過ぎ、「あ、もしかして平気なんじゃ?」と皆が思い出し気が緩んだ3月、海外からの帰国者からの感染と見られる第二波で大打撃を受けました。もうすぐ国境封鎖だそうだ。(それでも他国に比べたら、数的には全然少ない。国と医療の連係プレー、そして国民の理解があるからだろう)

(上のNYタイムズの記事、患者数を低く保つ、という医療界のめざすところをグラフにしていますが、縦軸の数字にはご注意。ある国は10人程度がピーク値、他の国は何百人がピーク値です)

シンガポールもそうだが日本も2ヵ月。人間の緊張感は、どうしたってだらける。そのときに再度感染の波は起こる。これは世界中そうだ。まだ収束していない。まだ平気にはなっていない。ワクチンも対症療法も薬も確立していない。

そしてすごく個人的なことですが、今回だけ言わせて下さい。みなさんにお願いすることしか出来ないのです。
医療関係者は自分の命がかかっているのを知って働いています。多くの家族は、前線で働くのを止めてほしいと思っても言えません。世界のためだからです。
私のオットや、実の姉や義兄たちや義妹を、友人達を、死線から遠ざけてくれるのは 本当にみなさん一人一人なのです。

医療が当たり前だなんて、そんなのはいつのことだった?そんな風に言う時期は来て欲しくないのです、だれも。
この人に全力を注いで、あの人はもう諦めよう、とか、そんな命を選ぶような決め方をしたくないのです、医療者も。


そろそろ、みんなお互いに言って欲しい。
気を緩めるのはまだ早いと。
最弱者と呼ばれる、お年寄りや基礎疾患を持つ人達を守るためにも、健康な私達は健康をキープしていけるようにしましょう。

長文読んでくださってありがとうございました。


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