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アクセルを踏み込むときは

瞬間的に「やばい、このひと、見てない」と思う。
クラクションを思いっきり鳴らすのと同時にアクセルを踏み込んだ。


アメリカの田舎では車が運転出来ないのは生活のしにくさに直結する。
いや、田舎でなくても「安全」ということを考えると自家用車の運転はかなり大切。
そこに加えてここ数年、私のエリアはとても人口が増えているからか、「とんでもない運転」をする人が前より増えている。

もともと「ピックアップトラック」という、かなり大きな車が自家用車として多い土地。大きな車に乗るとどうも人は攻撃的になったり優越感をもちやすいのだろうか、あるいは自分の車の死角を知らないのだろうか。背の低いちいさな普通車に乗っていると怖い思いは結構するものだ。
唯一の対抗策は 自分が視野を広く持つこと、余裕を失わないこと、そしていざとなったときでも「他より出足の速い車」にのること。今日は久し振りにその「出足」で逃げた。怖かった、一瞬自分の周りの全ての動きがスローになったくらいだから。



その黒い車は高速道路から別の主要な高速道路に乗り換える、やがて南下する方面に合流する2車線の外側(本線から一番遠い所)から無理に本線に戻ろうとしてきたのだ。私は2車線目にいて、そこで分岐しさらに北上する高速に乗り換えるところだった。
ただ、外側の車線にいた2台は少し前から気になっていた。その黒い車にイライラしていたらしいすぐ後ろの車は、車間を開けずぴったりくっついて煽っていた。だからその2台から離れる準備はしていた。

黒い車がするすると寄ってきて、ぶつかるかも、と思ったときには前後左右を確認していた。一応気をつけていたから私の前後が空いているのは知っていたけれど、後ろは大型トレーラーが来ていたのを覚えていた。スローモーションの中で減速するより加速して走り抜けるのが一番安全、と思った。

黒い車は一瞬前に私のいた場所を通り抜けて本線に戻った。私は「ふっざけんな、ばーか!」と叫びながら別の高速に合流していく。

本当にそういう無理な運転、周りをみていない運転が多い。なんだろう、全体の流れとか考えられないんだろうな。
ちなみに、先日ロサンゼルスで運転していたときは ただでさえ車が多いのに躍起になって1台抜かそうとする車や つぎつぎ続く合流と分岐のところで「死んでも入れてやるか」という意地悪さを見せてくる車があまりに多くて、しまいには毎回声を出して笑ってしまうほどだった。

私は別に運転が上手いわけではないと思う。好きでもないし、誰かが運転してくれるならその方が幸せだ。
だけど自分の運転、うまいんじゃないか、と勘違いしそうになるくらい、「目が近い」運転をするひとがとにかく多い。

人生にも共通する。

私なりの言葉で言えば彼らは「目の前に瞬間的に見えたものに飛びついて、その次の局面、その後の時間的経過を含めた ほんの少しの客観性を持たない」行動を取っている。誤解を恐れず言えば、選択が短絡的。
ちょっと首筋を伸ばして、全部の鏡を使って周りの流れを見ながら 少し先の車の流れを見たら、無駄な力を使わなくていいのに。

本当にアクセルを思い切り踏み込むのは、事故に遭わないように逃げるときだけで良いんじゃないかと思うんだ。

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