それでも自分の選択であれば

私には娘と息子がいますが、性格はオモシロイほどに夫婦の特徴をうまくミックス?し持っています。

娘は夫の「コツコツ」継続するという天才性と私の外向性・お気楽さと、どこからかが分からない臆病さがあります。息子は夫の回転の速さと私の怠惰さと、多分夫からの内向性と私譲りの勘の良さを持っています。

そして高校生の年齢の二人、色々人生の選択に悩み始める時期ですが、まぁ今回は息子の事です。


まず親ばか発言。息子は天才だなぁとおもうことは多々あります。当に夫(天才です 笑)の血だなぁと思います。(あとは優しいとか。気配りできるとか。んー褒め過ぎかと思ったけど書いてみたらそうでもないな 笑)


・・・が。心のウチで考えることが多すぎて、なんにも行動出来なくなる、それが息子です。(BTW(by the way) 全く考えずまず動いていくのはハハの私でございます 笑)一方、私達夫婦の共通項は行動力があるところ。夫婦で似ているのは ポイント、ポイントの「最低限やること」を決めて、そこまでの間にどれだけのことを詰め込むか詰め込まないかは各自の責任とその時の体力で・・・とフレキシブルなのを許すこと。つまりそのポイントさえ夫婦で認識している限り、お互いのことはかなり「どうぞご自由に」です。その夫婦のもとに こんな考えて動けないという宇宙人的息子が。そりゃもう、「愚図(ぐず)」とか「ぐちゃぐちゃごにょごにょ言っていて全く分からないやつ」とか呼ばれてます、私達に・・・あ!言葉だけで書くとひどいですが一応あふれるほどの愛とたっぷりの笑顔をもって からかってるってこと、ね・・・(直後にフォローは入れております、そういう傷が残ることは自分が良く知ってるから。)


さて、と。その息子、小学生のころから「学校システム」には馴染みませんでした。「テスト」成績はそこそこいいのですよ。でも彼の葛藤は提出をきめられた宿題をやる、というあたり。アメリカでは宿題提出が成績に組み込まれていて、これをやってないと落第します。まじで。テストでどんなにいい点を取っても 宿題提出ってとにかく比重が大きい。


一応学校は友達づきあいを学び「決められたことをこなす」ことを覚えるところ、と私は定義しているので(どんな世界でも ここは社会に出るとき絶対必要なことで かつ訓練が必要だからね)息子にもそのように言っています。「やるべきことをまずやれ、あとは自分の責任で好きなように」ええ、テストの点が悪くたってOK。わたしの中の「やるべきこと」にはリストされていませんから。一方で「宿題」は「決められたこと」なので許されるわけがないです。でも彼の中ではどうやら、「決められたこと」は教わる内容を大体こなすこと、で終了してるらしい。


この度、息子は2教科の宿題未提出にて「fail」(その授業をおとした、ということ)の予定。きちんと調べてませんが、これ、通ってる学校では留年に匹敵します。


ここで考えました。

息子がfailしても留年しても私には痛くも痒くもないのです。そこの責任は彼が自分で取るしかないのです。(ここまでは普段から考えてたし、教えてきたこと)で、先に書いたように私は私なりに「学校」というものから子供が学ぶ「べき」要点をコミュニケーション基礎能力と社会活動で必須となる「最低限のきめられたこと」をこなす能力と定義してました。

でもね。

結局そこすら、私の思い込みだけなのかも。私の世界観の中で我が子に茨(いばら)の道を敢えて歩く必要もないでしょ、だから最低限これをやっておきなさい、という親ゴコロ?からの提案だったわけです。けれど もし今、その最低限部分で彼がどうしても進めないなら、彼が自分の責任で自分の判断で人生を切り開いていく時期が来たのかも知れない。


ナニモノでもない人間でもいいのです。あれをやってなかったな、これをやってなかったな、と後から後悔したら、そこで本気で学べば良い事です。自分の人生を責任を持って選び、歩くことを彼が覚えていってくれればいい。


アメリカでは一応、高校卒業までが義務教育。

でも「義務教育を終えない」ということがどれだけ、後々彼の障壁となっても、それは彼が選ぶことなら彼が学びとして受けとるべき事。私がすべきは、義務教育終了という紙切れをもらうことをサポートする事ではなく 彼が自分の選択で自分の足で立って歩く、それを見守ることじゃないんだろうか?


ディプロマ(卒業証書)だとか学位だとか。本当に欲しいならどの年齢からも挑戦できるのはアメリカのいいところ。もちろん、その間自分で収入作るとかなんとか、そこはキッツイと思いますよ。だけどさ、時代は変わってきてるから。

息子には 目の前に「社会に認められたコースをこなすだけじゃなくてそのトップにいようと努力するとこんなに順風満帆と呼ばれる生活をするひとができるんだよ」という実例をみせてくれる父、「肩書きを放棄して 本人の情熱と夢と愛嬌で お金は生み出せないけど幸せに生きる」という正反対の実例であるハハという、先駆者たちが目の前に居ることになります。もちろん、そこに性差があることも加えて欲しいですが、まぁ、言いたいのは 

「きみは これからの時代に夢をもってすすむとき、どっちの土台の自分で居たい?」

という根本的な質問に 彼なりの最初の答を出す時期かなということ。(最初から道を塞ぐ岩を除けておくか、出会う度に何かの方法で破砕するかは 今の彼の価値観で決めればよろしい)


自分の選択は 自分にしか出来ない。親が代わりにやることは出来ない。彼がそこまでイヤだとおもうことで進めないなら、この先を見据えた選択を1度 本人がすべきでしょう。

そんな大きな決断、できる年齢じゃない?そんなの誰がきめたの?どんな助言も耳に入らないなら 自分で苦労してみて納得するしかないのです。それで上手くいくならそれは素晴らしいことだし。


学校を一年遅れようが、あるいは卒業できないかも、というところに来ようが、彼が自分の選択で自分の人生を生きるなら万事オッケー。どうしようもなくなったら ぺこぺこのおなかに入れるおにぎりくらい握ってあげましょう。

人生に正解はない。正解は自分で形作るしかない。でもその正解を求めるために、人生の先輩達の助言を却下するという選択をしたら、それは自分で責任を負っていくと宣言することだと知るべきです。

そして、親のできることは・・・彼が彼らしく生きる限り、信じて見守ることだけなんだろうなぁ、とぼんやり思うのです。


さぁ、うちのこぞーくんはどうするんでしょうね?


サポート戴けるのはすっごくうれしいです。自分の「書くこと」を磨く励みにします。また、私からも他の素敵な作品へのサポートとして還元させてまいります。