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もういいかなぁ、と思うので

娘のところに足止めを喰らっている。
車の修理が終わらないのが理由だが、アメリカでは「予定通りにいかない」ことが結構予定通りだったりする。これまで2回、そのことも考慮して余裕を持った予定の組み直しをしてきたのに、さらにその上を行くか、アメリカでは。もう笑うしかない。でも来週まで延ばすつもりはないので、1日だけ予定をずらした、延長はできるだけ短く、それでも必要なことはそれでもできるだけ片付けていける予定へと。

学校に行くためにここに住んでいるのに、学校に行けないではシャレにならない・・・と私がその間の送り迎えをカバーする目的だった。私はもう仕事をしていないのもあって、基本的に何をやっていても他のことは大体大丈夫。オットも同意してくれていたし、彼もたまに一人を謳歌ってのもイイだろう・・・と思ってたのは2週間前まで。

諸々、飽きた。もうおうちに帰りたい。


娘との関係はかなり良好だと思う。母が健在だった頃私は自分の母との距離にこっそり悩んでいて・・・基本的に干渉はしない母だったのだが近づきすぎると磁石の同極のごとくどこかに強い反発力が生まれてしまう感じだったのだ。ほら、左右の手に磁石を持って同極を近づけるとくっつかないし変な方向に磁石が逃げちゃったりするじゃないですか、あの感じ。
そんな私たちだったので、地球の裏側にきてなんかちょうどよく、お互いを思い合える感じになったなと思っていた。別に嫌いだったわけではないしむしろ大好きだった。でも近づくとろくなことがなかったのだ。

その点、娘と私は同じ空間にいても 当然気は使わないし、雑談でも面白かったことでもなにか話があるときはお互い手を止めて話を聞く。ああ、私も母とこんな距離でいつもいられたらよかったのになぁと思うくらいだ。
でも、さすがにこの小さい部屋に二人がいつもいるというのはもうイイかなぁ、と思っている。娘とも話したことだが、お互い「そこにいてもらっているのは嬉しいし邪魔じゃない」けれど別にべったり一緒にいたいわけじゃないんだよね、と。今は大学生には大学生の生活リズムと友達付き合いがあるし、私は半隠居で植物と猫と話をしている方が気楽だ。

それに当たり前だけれど、どうしても母娘という関係性はそのままどこかに残る。娘が主導権、というようなリズムがもっとあちこちに欲しいのだ、彼女の家なんだから。でも結局スケジューリングとかなんとか、つい私が決めてしまう形になる。よくない。自分にとっても彼女にとってもすごく良くないぞ。

そしてもう一つ・・・やっぱり、オットとの暮らしでのリズムの方が適度に緊張感もあり(そこはね、やっぱり家族になろうとしてなった他人と、自分が産んで育てた娘との違いだからね)私は好きなのだ。
オットは私がいなくても一人で上手に暮らしてはいようが、そろそろ食事とか洗濯とか日々の買い物みたいなことに小さなストレスも溜まってきているだろうしな。

・・・と、思いがけず「私たちも上手に家族になってきているんだなぁ」と、これまでの夫婦の時間に合格点をつけてあげたい気分にもなった。


明後日までに車が戻らなかったら、しばらくバスと電車で通学、よろしく、と娘に言い渡す。ブースターショットで具合が悪くなっているのもその頃くらいには良くなっているだろう。
そんなわけで使い切った方が良さそうな野菜を使いきる方向で今日から献立を組もうと思う。鍋とか鍋とか、鍋とかでね。

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