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The Beauty of Bitters

年令を重ねることを心から有り難いと思っている。
失うものもあるのだけど、私の内側に沢山の層になった「若い頃は知らなかった素敵な味わい方フィルター」が生成されていることを ふとしたときに識ることができるから。

《ビターズ》の味を教わったのは20数年前、沖縄市のコザにあるバー、オーナーでバーテンダーでもあるIさんからだった。
40時間くらいの連続勤務後に行くことが多かったので、そういう時いつも私が頼むのは胃にまろやかに感じる、生クリームを使ったアレキサンダーだった。あるときIさんが 私がアレキサンダーを好む理由を聞いてきたので、「美味しいのもあるんですけど、寝不足だと後で胃に来ることがあって・・・」と話したら

それじゃ、これはどうですか

と教えてくれたのが、アンゴスチュラ・アロマティック・ビターズだった。なんでも、ドイツのお医者さんが作ったリキュールで、

当初、兵隊さんの胃薬というか強壮剤っていうか、そんな感じで作ったらしいです

と話してくれた。

数滴 小さなショットグラスに垂らして匂いを嗅がせてくれたのだが、ようやく30手前という年令の私にはコレが美味しくなるの?という、理解不能な薬的な匂いだった。でも確かに、何かのカクテルでこの香りの一部がしていた気がする。
舐めて良いですよ、といわれたので少し指先に付けて舐めたが うわっ、と言ってしまうくらい「ただの薬」で、その強烈な匂いと苦さのあまり舌を外して蛇口の下でゴシゴシ洗いたいくらいだった。

もし次をロングでお飲みになるなら、コレを使って作りますよ?少し混ぜると美味しくなるんです。

そう言ってIさんが作ってくれたのは薄いオレンジ色のマンハッタン。一口飲んでその名前を思い出した。

ああ、この独特な香りは このリキュールだったんですか。

そんな話をしながら、さっき舐めた恐ろしく苦くて口の中から嗅覚がやられそうだったビターズからは想像もつかないくらいの優しい香りに、不思議な気持ちを感じずにはいられなかった。でも基本ショートカクテルの方が好きだった(呑み助だった)のもあり、その後敢えてこの香りを求めはしなかった。
多分、直接舐めたあの強烈な匂いと思い出したくない味が 印象に強すぎたのだろう。あるいは 若かったからあの香りを「複雑だ」としか表現出来なくて、その自分の幼さを認めたくなかったのかもしれない。

最近、ビターズをたまたま譲ってもらった。

《少し混ぜると美味しくなるんですよ。》

アンゴスチュラ、の名前を見て、ああビターズ、と思い出す。昔、Iさんが教えてくれたっけ。

使い方が分からなくてちょっと検索したら「水に垂らしても」と。手許に炭酸水があったので、コップに移したところへ1ダッシュ、垂らしてみる。薄い橙色をしたビターズはすぐに炭酸水と混じり色は見えなくなった。

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でも一口飲むと柑橘系の香りが、そしてほんの少しの苦みが追いかけてくる。あ、なんかスキだ。これで味がつくようなことはなく、でもどこかで飲んだことのある香りだ。急にあのときのマンハッタンを思い出した。

香りが引き連れてくる記憶は鮮明で美しく残酷なことすらある。フラッシュバックした光景は私には後悔に近いものがあったのだけれど、同時にIさんを慕って集まっていた研修医たちや指導医のひとたちの笑顔も、あの濃厚な日々まで思い出される。


昼間だったのでウイスキーは控え、オレンジジュースをすこし出してきて多めに氷を入れ、そして残りの炭酸水を注いだ。そこにまた1ダッシュ。ふわり、と薄衣を幾重にも折りたたみ混ぜ込んだかのような香りが加わる。けれど鼻腔に届くか届かないかの一瞬で香りは消えていく。

なんだろう、この感じ。

果汁100%のオレンジジュースが素直で明るい少女のようなイメージだとしたら、ビターズが加わったそれは少し肩の力のぬけたリゾートウェアを纏った、もう家族を持った年令の女性のうつむき加減の微笑み というイメージ。

香りに苦みがある。でもそれは気付くか気付かないか程度。そんな密やかな、厚みの殆ど見えない香りのレイヤーを何枚か重ねたような。鼻腔をごくごく微かに揺らす香りが 頭ではなく心臓の辺りに隠れるいろんな気持ちに手を差し伸べている。

夜のコザの街でマンハッタンを飲んだときには「美味しい」くらいの感想だった。でも今 普通の水に、あるいはありふれたオレンジジュースに加わった風味は、すこし切なさを覚えるくらいの甘苦い香りと沢山の「なにか」を連れてきた。


多分それは、あの頃の寝ないで働いていた記憶とか失敗とかギリギリで助けた命とか、友達や先輩たちとの人間関係とかが細い細い糸状に手繰られたもの。通り過ぎた学生時代とかコザの街の怠いような夜風とか、見えない将来への不安とかなんとか、そんな記憶の断片、セピア色に褪せた写真のような想い出。それぞれ角を合わせて折り畳み記憶の引き出しの中にごちゃっとしまいこんでいた沢山の想い出の紙切れが、がたつく引き出しを無理矢理引っ張ったらこぼれ落ちてきた、というような乱雑さで。

そうか、沢山の降り積もった時間が連れてこられるんだ、「味覚」と「匂い」に。


日が高くなってくると高地の涼やかさはあっという間に失われる。私は窓を閉め 家の中の温度を保つエアコンディションが入るのを待つ。いつものようにパソコンを開く前に、ほんの一振りのアンゴスチュラ・アロマティックビターズを加えた氷水のグラスと、それより一回り大きい室温の水のグラスとを両手に持ちテーブルに着く。乾燥気候のここでは心がけて水分を取らないと知らず脱水になる。室温の水を時々口にし、そして思い出したときビターズを加えた冷たい水を含む。文章を読み、書くときの私がしていること。

年令を重ねることは愛おしい。昔は「複雑」の一言で片付けた香りに、今は言葉で現せないほどの沢山の記憶の糸を感じることができる。

氷水に溶けた薄く遠い香りに呼び戻されるのは すこし苦く切ない、バカでコワイもの知らずな若い自分の記憶。もう遠くて取り戻すことは二度と無い、触りたくないような手繰ってみたいような、私だけに美しいもの、 the beauty of bitters.


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余談。


いろいろなインスピレーション、半分考えて放置していたことに釣り糸をたれるかのように気付かせてくれる、嶋津ご夫妻。今日は参加出来なかったけど(というかこの記事を考えていて、他に頭を使うことが出来なかった)2回ほど「空気の研究」の前段階の試みに参加させて頂いた。

まぁ大概わたしが最年長でババくさいことを言ってしまうのだけれど(皆さんごめんなさい)ビターズにまつわる、記憶の中で小さな渦潮をつくるようなざらつきを思い出させて貰った。忘れないうちに描こうと思った。

よく「女性に年令を聞くな」というけれど、私はその言葉自体が女性を萎縮させていると思っている。(相手を気まずくさせるから言わないけれどね)

年を重ね、水分が減る肌も 気をつけていても増えるシワも 生え際の髪にグレイが目立つことですらをも 醜いと思わせない生き方をしたい。私はようやく今 内側の自分と外側が馴染んできたところ、という気がしている。

それぞれの年令でしか見えないことがある、という大前提があって、その上で「通り過ぎたからこそ そのものは分からずとも それぞれの人が感じることを尊く感じ認めたくなる」面白さがあるのだ。本当に年令を重ねる毎にほぉぉぉっと思う事も 後ろに置いてきたなにかを思い出して他人以上に感激することも いろいろな味わい方も増えて あれこれ面白い。

まさに、過ぎた時に恥ずかしさや苦々しさを感じながらも見えてくる the beauty of bittersなのである。

そして更に余談。嶋津さんの「空気の研究」のパートナー、カジサカモトキさんを見ていると なぜか沖縄のにーにーに見えてきてしまう。いや、ヘンな意味じゃないです、素敵に自然体でちょっと視点がかわってて、笑顔で周りの人に「もう、仕方ないねぇ」と可愛がられてしまうひと。沖縄のワカモノのイメージがぬけないんだなぁ。
こんど三線(サンシン)弾いて?ってリクエストしてみようかなぁ。笑


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